高梨利右衛門(読み)たかなしりえもん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高梨利右衛門」の意味・わかりやすい解説

高梨利右衛門
たかなしりえもん
(?―1688)

江戸初期、出羽(でわ)の義民。出羽国置賜(おきたま)郡屋代(やしろ)郷(山形県高畠(たかはた)町)の人で、島津利右衛門ともいう。新宿(にいじゅく)(二井宿)村の肝煎(きもいり)・問屋であったともいうが、米沢(よねざわ)藩政を批判し、番所破りを行った理由で追放となり、1688年(元禄1)12月、新宿村で処刑された。後の記録によれば、これらの利右衛門の活動とは、1666年(寛文6)に信夫(しのぶ)代官に訴えた62か条の「寛文目安(かんぶんめやす)」の立役者として、また米の抜荷(ぬけに)を行ったことなどがあげられている。米沢藩の上杉氏の領地半減と藩政確立期の圧政のなかで、屋代郷は米沢藩の預り地という関係にあった。ただしこれらを利右衛門の行為としたとき、それと処刑の年代にあまりの差があることが疑問として残る。もちろん藩の記録や土地に残る口碑(こうひ)、六地蔵、東泉院の墓誌、酬恩(しゅうおん)碑などは、義民としての確かな史料である。

[横山昭男]

『小室信介編、林基校訂『東洋民権百家伝』(岩波文庫)』『『高畠町史 中』(1976・高畠町)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高梨利右衛門」の解説

高梨利右衛門 たかなし-りえもん

?-1688 江戸時代前期の肝煎(きもいり)。
出羽(でわ)置賜郡(山形県)屋代郷二井宿村の人。米沢藩の年貢取り立てがきびしかったため,寛文6年幕府にうったえ,元禄(げんろく)元年12月越訴(おっそ)の罪で磔(はりつけ)の刑となった。

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