20世紀日本人名事典 「高梨美津」の解説 高梨 美津タカナシ ミツ 明治・大正期の助産婦,教育者 生年安政5年12月13日(1859年) 没年大正11(1922)年10月31日 出生地安房国安房郡佐久間村(千葉県鋸南町) 経歴明治4年同郷の医師・高梨文策と結婚し、一子を身ごもるが、難産のために嬰児を亡くす。さらに夫とも死別したため実家に帰り、10年に助産婦を志して上京した。東京病院で見習い看護婦として働きながら看護学・産婆学を修め、18年郷里千葉県に市原産婆講習所(のち産婆授産所、千葉産婆学校)を設立。のち、その卒業生は千葉県の特例によって無試験で産婆開業免状を贈られることとなり、多くの助産婦が巣立っていった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高梨美津」の解説 高梨美津 たかなし-みつ 1859*-1922 明治-大正時代の助産婦。安政5年12月13日生まれ。明治10年上京,苦学のすえ千葉で開業。18年千葉・市原産婆講習所を開設,21年千葉産婆学校と改称。卒業生は県より無試験で産婆開業免状をあたえられた。大正11年10月31日死去。65歳。安房(あわ)(千葉県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by