高田館跡
たかだたちあと
中世当地を拠点とした本郷氏の居館跡。本郷のほぼ中央平坦部にあり、当地付近で丹後街道と佐分利街道が交差する。周囲は深田・沼地などが多く、佐分利川とその支流吉田川の水利を用いて溝堀とし、水城的要素が濃い。小字浄光寺だけがかつて地面が高く、北は日枝神社、西は長覚寺(本郷氏の菩提所、現廃寺)、東は潮音院がある。
高田館跡
たかだたてあと
[現在地名]青森市高田
高田集落の北にある。貞享四年(一六八七)の検地帳に、古館として一八間に四七間と記され、明治初年の「新撰陸奥国誌」に「隍の跡今水田となり二重ありと見ゆ。南西北存し、東は田となりて形状定かならす、西は畑となる。東西四十八間、南北二十六間、隍の弘さ五間、底は二間あり。高田某住せし処なりと云とも詳ならす」とある。南部氏の臣土岐大和之助則基の居館であったという(津軽封内城趾考)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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