高道村(読み)たかみちむら

日本歴史地名大系 「高道村」の解説

高道村
たかみちむら

[現在地名]岱明町高道

南は有明海に面し、東部さかい川が南流、北は山下やました村、西は浜田はまだ村と接する。元亨元年(一三二一)の阿蘇社進納物注文写(阿蘇家文書)の初米進納所々に権大宮司請取分として「たかミち」がみえ、田作祭料にあてられている。弘治三年(一五五七)三月吉日の紀宗善大野家由緒書上(清源寺文書)に、鎌倉初期に紀国隆が玉名郡内で二五〇町を得、築地二郎と称した次男国秀に譲った築地ついじ(現玉名市)五五町の説明に「前原野口、高道ハ築地之内ニ候歟」と記す。

慶長一一年(一六〇六)検地帳によると田六七町九反余・畠屋敷五七町四反二畝余・屋敷筆数一〇三、分米一千二六〇石八斗余、家数二一四・人数三四九、牛馬四二、別たう・屋敷内・天神ノ木などの地名がある。


高道村
たかんどうむら

[現在地名]砺波市高道たかんど

みや村の南にあり、西は太郎丸たろうまる村。村名については、昔百合若大臣が緑丸という鷹の供養のために小竹原という所に七堂伽藍を建てたのでその地を高堂村とよぶようになり、のちに高道村と文字が変わったと伝える(貞享元年「村名由緒書上」加越能文庫)。元和五年(一六一九)の太田組役家数書上(金子文書)に「高堂」とあり役家数三。同年の家高新帳では「たかんたう」とある。正保郷帳では高四一七石余、田方二七町八反余、新田高三三石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高三三〇石・免三ツ八歩、小物成は野役一四匁・鮎川役二匁・鱒役一匁(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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