高道町(読み)たかみちまち

日本歴史地名大系 「高道町」の解説

高道町
たかみちまち

[現在地名]金沢市東山(ひがしやま)二丁目・山の上町(やまのうえまち)・森山(もりやま)一丁目

金屋(かなや)町の北東に続く北陸街道の両側町で地子町。通り中ほどから北西に抜ける通りの両側は大衆免七曲(だいじゆめななまが)り。南東は油木(あぶらき)山(のちの高道新町)。通りの長さは一町三五間(「金沢通町筋町割付」加越能文庫)。町名は卯辰(うたつ)山麓の小高い荒れ地に道をつけ、周りを平らにして町地としたことにちなむという(亀の尾の記)。「改作所旧記」の寛文五年(一六六五)の往還測量の記事に町名がみえる。元禄三年(一六九〇)には地子町七ヵ所一三町の一つにあげられている(国事雑抄)。文化八年(一八一一)の金沢町絵図名帳によれば肝煎は太四郎、組合頭は石浦屋久兵衛・中条屋余所右衛門、家数五二で、職業構成は古手買一一、小間物・道具屋各四のほか、紺屋・傘細工・時計細工・仏壇師・魚鳥商・八百屋、味噌・醤油商、茶商・菓子商、たばこ・荒物・畳表商、質屋など、職人・商人ともにきわめて多様で、近郊農村を対象として賑わっていた様子がうかがわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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