朝日日本歴史人物事典 「高階経仲」の解説
高階経仲
生年:保元2(1157)
平安末・鎌倉初期の公卿で院の近臣。高階泰経の子。母は藤原行広の娘。本名業仲。仁安3(1168)年蔵人となり,石見守,常陸介,右衛門佐を歴任。従四位上・右馬頭となるが,文治1(1185)年12月源義経と行家の謀反に加担して頼朝の怒りを買い,父泰経と共に解官された。のちに許されて播磨守,内蔵頭となり,父と共に後白河法皇に近侍して,院庁の別当を務める。法皇の没後は後鳥羽上皇の側近に仕えて院別当となり,常に院御所に祗候した。元久1(1204)年に正三位に叙せられ,建保4(1216)年2月に出家した。
(土谷恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報