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建礼門院右京大夫 けんれいもんいんうきょうのだいぶ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

建礼門院右京大夫
けんれいもんいんうきょうのだいぶ

[生]?
[没]貞永1(1232)以後.京都
平安時代後期~鎌倉時代初期の女流歌人。父は宮内少輔藤原 (世尊寺) 伊行 (これゆき) ,母は笛師大神 (おおみわ) 基政の娘夕霧。伊行は行成の子孫で,世尊寺流の書に秀で,『源氏物語』の注釈書『伊行釈』の著者。母は箏の名手。この遺伝や環境から,右京大夫も書と弾箏にすぐれ,物語を愛好した。高倉天皇の中宮徳子 (建礼門院 ) に女房として仕え,徳子の甥平資盛 (すけもり) と恋愛し,平家一門の没落以前宮仕えを退いたが,都落ちに伴う資盛との生別,その戦死など,源平動乱の悲劇を身をもって体験。のちに後鳥羽天皇の内裏に再出仕し,藤原俊成の九十の賀を見聞している。『建礼門院右京大夫集』 (1188/1232頃?) は歌数 361首,しばしば長文の詞書を伴う日記風の家集で,徳子の後宮での生活,恋の苦しさ,恋人との生別および死別の悲しみ,後年の再出仕のことなどを綴ったもの。晩年自身の手で編み,藤原定家の『新勅撰集』撰進の際,提出したらしい。和歌よりもむしろ文章が高く評価されている。

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デジタル大辞泉の解説

けんれいもんいん‐うきょうのだいぶ〔ケンレイモンヰンウキヤウのダイブ〕【建礼門院右京大夫】

[1157ころ~1233ころ]平安末期・鎌倉初期の女流歌人。藤原伊行(ふじわらのこれゆき)の娘。建礼門院に仕え、平資盛(たいらのすけもり)に愛された。のち後鳥羽院に再出仕。家集に「建礼門院右京大夫集」がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

建礼門院右京大夫 けんれいもんいんの-うきょうのだいぶ

?-? 平安後期-鎌倉時代の歌人。
藤原伊行(これゆき)の娘。一説に保元(ほうげん)2年(1157)ごろの生まれ。承安(じょうあん)3年建礼門院(中宮徳子)につかえる。平重盛(しげもり)の次男資盛(すけもり)と恋仲になり,壇ノ浦の戦いで資盛が没したのち京都の法性(ほっしょう)寺にはいった。晩年は再度宮仕えし,家集「建礼門院右京大夫集」をあむ。
【格言など】またためしたぐひも知らぬ憂きことをみてもさてある身ぞうとましき(「建礼門院右京大夫集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

建礼門院右京大夫

生年:生没年不詳
平安時代末,鎌倉時代初期の女房歌人。父は宮内少輔藤原伊行。母は大神基政の娘で夕霧の尼と呼ばれた箏の名手。歌人藤原俊成の養女となったとする説もある。承安3(1173)年高倉天皇の中宮徳子(建礼門院)に出仕。天皇と中宮の美しい姿に感激して「雲の上にかかる月日の光みる身の契りさへうれしとぞ思ふ」と詠じ,平重盛主催の菊合に出詠するなど,充実した宮仕生活であったが,この間,平資盛,藤原隆信との恋愛関係が生じ,苦悩の日々を送る。治承2(1178)年に宮仕を退いたが,そのころすでに,隆信との関係はとだえていた。その後も交際を続けていた資盛は,寿永2(1183)年の平家都落ちに同道して西国に逃れ,文治1(1185)年に壇の浦で死去。その前後の彼女の心境は,「なべて世のはかなきことを悲しとはかかる夢みぬ人や言ひけむ」など,家集『建礼門院右京大夫集』に所収の歌々によって知ることができる。資盛の死後は,兄の尊円と共に法性寺の僧坊に住んだが,建久7(1196)年ごろ,後鳥羽天皇の宮廷に再出仕。その後,七条院にも仕えて,天福1(1233)年ごろまで生存していたらしい。『新勅撰和歌集』以下の勅撰集に23首が入集。『源氏物語』の続編として書かれた物語『山路の露』を右京大夫の作と推定する説もある。<参考文献>冨倉徳次郎『王朝の悲歌―建礼門院右京大夫―』,松本寧至『建礼門院右京大夫』

(加藤睦)

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大辞林 第三版の解説

けんれいもんいんうきょうのだいぶ【建礼門院右京大夫】

1157頃~?) 平安末期・鎌倉初期の歌人。世尊寺伊行これゆきの女むすめ。中宮平徳子(建礼門院)に仕えた。平家滅亡後、後鳥羽院に出仕。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

建礼門院右京大夫
けんれいもんいんうきょうのだいぶ

平安末から鎌倉前期の歌人。世尊寺(せそんじ)流の能書家である藤原伊行(これゆき)の女(むすめ)として、1150年代前半に生まれる。1173年(承安3)、高倉天皇中宮徳子(建礼門院)に出仕。そのころ平資盛(すけもり)と結ばれ、日記的性格を有する家集『建礼門院右京大夫集』には、源平の争乱により死去した恋人への追憶を詠んだ和歌が収められる。家集にはほかに似絵(にせえ)の名手である藤原隆信との交渉も描かれる。平家滅亡後は一時宮廷を辞して、兄の尊円とともに歌人の慈円の僧房に身を寄せていたが、1195年(建久6)後鳥羽院のもとに再出仕し、数々の歌合に出詠。家集は藤原定家の『新勅撰集』撰進の資料として提出されたか。七夕など星を題材にした歌の多さで知られる。[田中貴子]
『本位田重美著『古代和歌論考』(1977・笠間書院)』

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