魚棚町(読み)うおたなちよう

日本歴史地名大系 「魚棚町」の解説

魚棚町
うおたなちよう

[現在地名]兵庫区島上町しまがみちよう二丁目

小物屋こものや町と北中きたなか町の境から東に島上しまのうえ町へ通ずる小路に沿った岡方の町。慶長七年(一六〇二)の兵庫屋地子帳(兵庫岡方文書)には屋敷地一三筆の魚棚町と一九筆の魚棚うら町を載せるが、元禄九年(一六九六)の兵庫津絵図井家蔵)には魚棚町しかみえないので魚棚うら町は早くに魚棚町に含められたと推察される。


魚棚町
うおのたなちよう

下京区下魚棚通油小路西入

町域はほぼ全部現堀川通上に位置し、昭和四一年(一九六六)まで魚店町として存在、区画整理により消滅した。「坊目誌」は「下魚棚通又魚店に作る油小路西入より、醒ヶ井東入まで南側を云ふ」及び「此町東は油小路町、西は鎌屋町、南は塩小路町に境し、北は隔道して土橋町に対す」と記している。

平安京の条坊では左京八条二坊四保九町の東北の一部、平安中期以降は七条油小路西南の地。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図は「魚ノたな丁」、寛文末洛中洛外大図には「魚棚町」とあり以後の変化はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む