鳥井駒吉(読み)とりい・こまきち

朝日日本歴史人物事典 「鳥井駒吉」の解説

鳥井駒吉

没年:明治42.5.24(1909)
生年嘉永6.3.12(1853.4.19)
明治期の実業家。堺宿院町の穀物問屋和泉屋伊助の次男。父は文久2(1862)年堺甲斐町に分家して酒造業を開始した。駒吉は明治3(1870)年家督を相続し,12年には堺酒造組合総代となる。18年,松本重太郎,藤田伝三郎,外山脩造らと阪堺鉄道(難波―堺間)を設立,31年に南海鉄道(難波―和歌山間)に合併された。37~39年南海鉄道2代社長となる。20年には外山,松本,石崎喜兵衛,宅徳平らと共に大阪麦酒会社(アサヒビール)を設立し,初代社長に就任。39年には大阪麦酒,日本麦酒,札幌麦酒が合併して大日本麦酒株式会社となった。その初代社長への就任を請われたが,病気のため辞退

(作道洋太郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳥井駒吉」の解説

鳥井駒吉 とりい-こまきち

1853-1909 明治時代の実業家。
嘉永(かえい)6年3月12日生まれ。家は代々の酒造業者。明治17年藤田伝三郎らと阪堺(はんかい)鉄道を設立,31年同社を合併した南海鉄道の社長となる。この間の22年大阪麦酒(ビール)(現アサヒビール)を設立し社長。明治42年5月24日死去。57歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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