ビール(読み)びーる(英語表記)Gabriel Biel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビール」の意味・わかりやすい解説

ビール(アルコール飲料)
びーる
beer

アルコール飲料の一つ。日本へは江戸時代にオランダ語のビールbierから入った語で、原料により麦酒と当て字される。一般には、麦芽を原料とし、ホップの苦味を有し、炭酸ガスを含み、アルコール分3~8%、泡のたつアルコール飲料といえよう。日本では、1901年(明治34)「麦酒税法」が公布され、初めて法的規制が行われた。現在では、酒税法によるビール(麦酒)の法的定義は次のようである。すなわち、麦芽、ホップおよび水を原料とし発酵させたもので、ほかに米、トウモロコシ、デンプンも一定範囲内(麦芽の2分の1以下)で使用することができる。副原料として米やデンプン質を使っているのは日本とアメリカで、軽いさわやかな味をつくるのに有効である。ドイツでは国内向けのビールはビール純粋令(1516)以来、麦芽、ホップ、水でつくるが、輸出用にはデンプン質を使うことができる。これは、輸送中の酒質の安定性や混濁などの防止のためである。イギリスでは砂糖を使うことも許されている。1995年(平成7)以降、日本では酒税法のビールの定義に含まれない(雑酒に分類される)発泡酒が発売されている。これは、低麦芽使用率のビール様発泡酒であるが、低税率で安価であり、品質もビールと比べてさほど遜色(そんしょく)がないため、ビール消費量の20%余りに達している。

[秋山裕一]

歴史

外国

ビールの歴史は、人類が狩猟採集から、定住して農耕を始めたころにさかのぼる。ビール発祥の地はティグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア平原とされている。紀元前3000年ごろ、シュメール人はムギ類の栽培を行い、麦芽をつくって乾燥し、これをコムギの粉に混ぜて、パンに焼き上げ、さらにこれを砕いて湯で溶き、自然発酵によってビールをつくったという。これに関する記念碑がパリのルーブル美術館に保存されている。バビロニアハムラビ法典(前1700ころ)には、ビールに関する取締り規則があり、またビールが給料の一部であったことも記されている。バビロニアの文化はすぐに古代エジプトに伝わった。エジプトには前2300年ごろの絵文字によって製法が残されており、麦芽のパンをつくり、これを原料として、バビロニアと同様の方法でビールがつくられ、かなり酸味の多いものであったと想像される。清澄剤の使用記録まであり、専業的な醸造場が誕生している。バビロニア時代はもろみをストロー様のもので飲んだようであるが、エジプトでは角杯が用いられている。

 前8~7世紀にはアッシリア人に引き継がれ、しだいにギリシア、ローマへと伝わったが、両国ではワインを重用したため、ビールは麦作に適する北欧のゲルマン人に引き継がれていった。8世紀のころには、当時学問の府であった僧院がビール製造の中心となっていった。ホップの使用は明確ではないが、その原産地としてカフカス(コーカサス)説もあることから、紀元前すでに使用されていたことも考えられる。保存や保健のため、酒に薬草を加えることは古くから知られていたのである。しかし、確実な記録は8世紀になってからで、ホップの栽培がドイツで始められ、定着した。1516年、ミュンヘン(ドイツ)の王侯が、ビールはオオムギ、ホップと水でつくること(コムギはパンに)というビール純粋令を布告した。ドイツではこれを踏襲している。

 16~17世紀になって、僧院で行われていたビール醸造が、国家に、あるいは市民の手に帰するようになる。19世紀になると、デンマークのハンゼンによる酵母の純粋培養法の確立、イギリスの産業革命による蒸気機関や冷凍装置の発明、パスツールによる低温火入れ殺菌法の発明など科学技術や微生物学の進歩と呼応して、醸造法の大変革がもたらされた。イギリスでは古いやり方の上面発酵法(発酵中に酵母が炭酸ガスとともに発酵液の表面に浮く)によるビール醸造を守っているが、19世紀中ごろ、ピルゼン(チェコ)で軟水を使う下面発酵方式で、淡麗なビールがつくられ、これが世界に広まった。日本もこの淡色、低温熟成のビールである。

[秋山裕一]

日本

日本にいつビールが渡来したか明らかではないが、江戸中期の『和蘭(オランダ)問答』(1724)にはすでにこの語がみえ、長崎貿易を通じてオランダ人によってもたらされたと思われる。開港後、明治初年には早くもイギリス、ドイツのビールが輸入されている。日本での醸造については、蘭学(らんがく)者川本幸民(こうみん)(1810―1871)が初めて試醸したと伝えられているが、本格的な醸造は1869年(明治2)アメリカ人コープランドW. Copelandが横浜天沼(あまぬま)にスプリング・バーレー・ブリュワリーを設立し、「天沼ビール」をつくったことに始まる。日本人としては大阪の豪商渋谷庄三郎(しぶたにしょうさぶろう)が「シブタニビール」を、札幌では開拓使による「サッポロビール」がつくられた。このほか明治初年には、山梨県の野口、東京多摩の石川といった酒造家の先覚者も醸造を志した。コープランドの会社は1885年に、ジャパン・ブリュワリー・カンパニー(麒麟麦酒(きりんビール)の前身)に引き継がれたが、コープランドは工場の近くにビヤホールを開いていた。続いて、日本麦酒(ビール)醸造会社(恵比寿(えびす)麦酒)、札幌麦酒、大阪麦酒(旭(あさひ)麦酒)、丸三麦酒醸造所など、現在のビール会社の母体となる会社はこのころに生まれた。

 1901年麦酒税法が定められ、初めてビールに課税されるようになった。日露戦争後、需要は拡大したが、激しい競合がおこり、これを避けるため整理統合が行われた。すなわち、1906年、日本麦酒、札幌麦酒、旭麦酒の3社合併により大日本麦酒が発足、翌年にはジャパン・ブリュワリーのキリンビールを一手に販売していた明治屋が、ブリュワリーを買収して麒麟麦酒を設立するに至った。ほかに加富登(かぶと)麦酒、帝国麦酒の2社があった。昭和に入って不況や生産過剰問題がきっかけで、各社が協力して自主統制を行うようになったが、国家統制へ移行し、1943年(昭和18)には、企業整備により大日本麦酒と麒麟麦酒の2社に統合された。太平洋戦争後の1949年(昭和24)、集中排除法によって、大日本麦酒は日本麦酒(現、サッポロビール)と朝日麦酒(現、アサヒビール)に分割され、麒麟麦酒を加えて3社になった。1957年「タカラビール」(宝酒造)が発売されたが、10年後撤退した。1963年には「サントリービール」が発売された。1999年(平成11)現在、北海道朝日麦酒と沖縄のオリオンビールを加え、6社42工場がある。なお、1994年、ビールの製造免許の最低製造数量基準が2000キロリットルから60キロリットルに引き下げられ、各地に地ビールとよばれる小メーカー(約200社)が誕生した。

[秋山裕一]

生産量

1883年(明治16)には約200キロリットルであったものが、1921年(大正10)には12万キロリットル、1939年(昭和14)には31万キロリットルとなった。終戦後の1946年(昭和21)には9万キロリットルと生産量は減少したが、経済の成長とともに急上昇し、1960年には清酒を追い抜き、1965年約201万キロリットル、1975年約390万キロリットル、1985年約480万キロリットル、1995年には約700万キロリットルに達している。世界のビールの年間生産量は、1996年に約1億2000万キロリットルで、日本の生産量はその約5%にあたり、世界第5位である。生産量第1位はアメリカ、2位中国であるが、1人当りの年間飲酒量ではドイツが多く約144リットル、日本は73リットル(大瓶116本)である。

[秋山裕一]

分類

世界のビールの種類はきわめて多いが、通常、発酵前の麦汁のエキス分の多少、ビールの色調、使用酵母による発酵形式、殺菌の有無によって大別される。イギリスの伝統的なビールはアルコール分がやや高く、濃密な口当たりのエールで、上面発酵法によってつくられる。日本のビールはドイツ系で、各メーカーともに下面発酵法による淡色ビールが主製品であるが、濃色ビールの黒ビール、上面発酵によるスタウトも若干ある。

[秋山裕一]

色調による分類

(1)淡色ビール 原産地であるチェコのピルゼン市にちなみピルゼンタイプ(ピルゼン・ビール)といわれ、ホップのきいた苦味のある色の淡いビール。(2)中間色ビール ウィーンタイプ。黄金(こがね)色。(3)濃色ビール ミュンヘンタイプ。通常黒ビールといわれるもので、麦芽を高温度で焙焦(ばいしょう)し、黒褐色にしたものを用い、色の濃い、甘苦い特有の香気のある濃いビール。なお、発泡酒とよばれる麦芽率が低いアルコール飲料はビールの定義には含まれない。

[秋山裕一]

発酵形式による分類

ビール酵母には上面酵母と下面酵母とがある。日本やドイツのビールは下面発酵方式による低温発酵で、酒質は軽い。上面発酵法はおもにイギリスやオランダなどに伝わるもので、スタウトやエールはこの方法でつくられ、発酵温度は15℃ぐらいである。酒質は濃く重い。上面酵母は発酵中に泡とともに表面に浮かび、高泡をつくる特徴がある。下面酵母は発酵最盛期には泡立つが、前者ほどではなく、酵母細胞どうしがくっつき合って沈殿する性質がある。上面酵母はサッカロミセス・セレビセーSaccharomyces cerevisiaeで、下面酵母はサッカロミセス・カールスベルゲンシスS. carlsbergensisと分類されていたが、今日では前者に統一されている。

[秋山裕一]

殺菌の有無による分類

生ビールと熱処理ビールに分かれる。生ビールは後発酵(こうはっこう)の完了後に濾過(ろか)し、加熱殺菌しないで製品としたもの。熱処理ビールは保存性をあげるために瓶に詰めたあと、60℃に加熱殺菌したもの。熱処理ビールの意で使われていたラガービールのラガーlagerは本来「貯蔵」を意味する。

[秋山裕一]

製法

麦芽を糖化して麦汁をつくり、ホップを加えて煮沸、濾過、冷却し、酵母を加えて主発酵を行う。さらに低温で後発酵を行い、炭酸ガスを溶け込ませつつ熟成させ、濾過して、瓶詰などにし、製品にする。

[秋山裕一]

原料

(1)水 日本のような淡色ビールには軟水がよいとされ、水道水が用いられている。濃色甘口のミュンヘン型のビールには硬度の高い水が使われる。

(2)ビールムギ オオムギを用いる。オオムギには二条オオムギと六条オオムギとがあり、後者は穂に粒が6列あり、小粒である。二条オオムギは粒が2列になったもので、大粒でデンプン質に富み、タンパク質が少なく殻皮も薄く、ビール醸造に適している。日本ではビールムギの生産は少ないので、ほとんどカナダ、オーストラリア、アメリカから麦芽として輸入している。

(3)ホップ クワ科に属し、つる性で雌雄異株、ビールには未受精の雌花を使う。有効成分のルプリンが形成され、ホップ油、樹脂、タンニンなどが含まれ、ビール特有の芳香や苦味のもとになる。

[秋山裕一]

醸造

(1)製麦 オオムギを水に浸(つ)けて吸水させ、調湿、通風しつつ、7~8日間かけて発芽させる。これを焙燥室で乾燥させて根を除いて麦芽にする。黒ビール用の麦芽は焙燥の温度を高くし焦がしたものである。

(2)麦汁製造 麦芽を粉砕し、約6倍の50℃ほどの湯を入れる。この液の一部を分け、副原料の米やトウモロコシといっしょに仕込釜(しこみがま)で煮る。これを元に戻し、一定時間糖化を図る。この操作を繰り返し、温度を高め(60~75℃)て糖化を進め、自然濾過する。これにホップを加えて煮沸釜で煮て、ホップの有効成分を抽出する。濾過冷却して発酵タンクに送る。

(3)主発酵 100キロリットルほどのステンレス製あるいはアルミ製のタンクに入れ、ビール酵母を加え、8℃ぐらいの温度で、約8~12日ほど発酵させる。

(4)後発酵 ビール中の炭酸ガスは、この工程でビールに吸収され、同時に味の熟成を図る。低温(1~2℃)で約1~2か月間ゆっくり発酵を行う。炭酸ガス圧として0.5気圧ぐらいになる。

(5)濾過と製品 熟成したビールは炭酸ガスを失わないように、加圧下で低温で濾過する。濾過は珪藻(けいそう)土や遠心分離機を用いたり、ミリポアフィルターやセラミックフィルターで除菌する方法が行われている。濾過したビールをそのまま樽や缶に詰めたものが生ビールである。新鮮な風味が好まれる。濾過ビールを瓶詰にし、加熱(60℃)、殺菌したものが熱処理ビールで、保存性が高い。瓶は633ミリリットル、500ミリリットル、334ミリリットルなどの規格がある。缶は350ミリリットルから2リットル、3リットルなどがある。樽は10~100リットルのステンレス容器が用いられる。

[秋山裕一]

特性と生理作用

ビールはコロイド状態の酒といわれ、その泡持ちに特性があり、苦味、爽快(そうかい)な飲料である。ビールの生理作用は、炭酸ガスの胃壁への刺激で胃液の分泌を促し、ホップ成分は唾液(だえき)、胃液、胆汁の分泌を促進して、食欲増進の効果がある。また、腎臓(じんぞう)の機能を高めるため利尿作用がある。

[秋山裕一]

飲み方

5~8℃ぐらいに冷やして、泡を楽しみながら、爽快なのどごしを味わう。グラスはよく洗って油けのとれたものを使う。油けがあると泡が消える。ビールは適度に泡がたつように注ぐ。冷やしすぎると泡や香りがたたず苦味が強く、温度が高いと泡ばかりになってしまう。グラス面の3~5センチメートルぐらい上からグラスの真ん中に、初めはある程度勢いよく注ぎ、半分ぐらい注いだら泡を見ながら瓶をグラスに近づけ、ゆっくりと注ぐ。グラスに2センチメートルぐらいの厚さに残った泡は重要な役割をもつ。泡はビールの生命であり、純白できめの細かい泡立ちと泡もちがよいことがたいせつ。泡はビールの成分が炭酸ガスの気泡を包んで泡となるもので、タンパク質やデキストリン分、ホップ成分などが関与している。

[秋山裕一]

『植田敏郎著『ビールのすべて』(1962・中央公論社)』『キリンビール編『ビールと日本人』(1984・三省堂)』『三省堂編・刊『ビールの事典』(1984)』『松山茂助著『麦酒醸造学』(1970・東洋経済新報社)』『大塚謙一編『醸造学』(1981・養賢堂)』『井上喬著『やさしい醸造学』(1997・工業調査会)』『橋本直樹著『ビールのはなし(Part2)』(1998・技報堂出版)』



ビール(Gabriel Biel)
びーる
Gabriel Biel
(1410ころ―1495)

ドイツのスコラ神学者、哲学者。ハイデルベルク、エルフルトなどで学び、ウルアハ、アインジーデルなどの修道院長を歴任。チュービンゲン大学の創設にかかわり、1484年以降はその教授活動を通じて同大学に名声をもたらした。彼はオッカム学派の唯名(ゆいめい)論者である。未完の主著『命題集注解要録』Epithoma pariter et collectorium circa quattuor sententiarum libros(1495)はオッカムを祖述したものであるが、説明が明快で一貫し、また中世思想をよくまとめていて、唯名論の普及に貢献した。その神概念はルターに深い影響を与えた。

[常葉謙二 2017年12月12日]


ビール(民族)
びーる
Bhil

インド西部、北はラージャスターン州のアジメール付近、南はマハラシュトラ州のターナ地域まで、東はマディヤ・プラデシュ州のインドーレ周辺にかけて住む人々。かつてビール人は盗賊として有名で、山地にこもって平野部の人々を襲っていたが、現在では農民、労働者として暮らしている。農業は鋤(すき)を使って稲、雑穀類をつくっている。山地では焼畑を行うビール人もいる。ビール人はインドの古い民族の一つと考えられているが、起源、歴史は明らかでない。皮膚の色は濃く、唇は厚く、広い鼻をもち、身体的にはムンダ人に似ているが、現在のビール語はインド・アーリア語族に近い。ビール人の文化・社会は、長い間他の民族(ラージャスターン人、グジャラート人、マラーティー人)と隣接あるいは混住していたため、それらの文化の影響を受けて変化したものと考えられる。一部はイスラム教徒であるが、多くはヒンドゥー教的要素の入った宗教をもっている。

[板橋作美]


ビール(August Karl Gustav Bier)
びーる
August Karl Gustav Bier
(1861―1949)

ドイツの外科医。腰椎(ようつい)(脊椎(せきつい))麻酔法を開発、その普及を図り、晩年は生命論に関心を寄せた。ヘルゼンに生まれ、ベルリン、ライプツィヒ、キールの各大学で学び、キール大学では外科のエスマルヒFriedrich von Esmarch(1823―1908)の指導を受けた。1899年グライフスワルト大学、1903年ボン大学、1907年ベルリン大学の外科教授を歴任。腰椎麻酔のほか、充血療法を開発した。

[中川米造]


ビール(スイス)
びーる
Biel

スイス西部、ベルン州の都市。フランス語名ビエンヌBienne。ジュラ山脈の南麓(なんろく)、標高440メートルの扇状地上に位置する。首都ベルンに次ぐ同州第二の工業都市で、人口4万9157(2001)。時計工業ではチューリヒに次ぎスイス第2位を占め、金属・機械工業も盛んである。隣接する14町村をあわせて8万4200(1999)の人口集中地域を形成する。市民の3割はフランス語を常用するが、公私ともにドイツ語とフランス語を同等に話す町である。

[前島郁雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビール」の意味・わかりやすい解説

ビール
beer

穀物などのデンプン質原料(→デンプン)からの抽出液を発酵させてつくるアルコール飲料。特に日本ではオオムギを原料とした醸造酒をいい,麦酒とあて字される。前4000年頃にはメソポタミアでつくられていたとみられる。オオムギに水を均等に含ませて発芽させ,麦芽の強いアミラーゼ力(→アミラーゼ)を利用して麦芽の浸出液をつくる。これにホップの抽出物を加えて煮沸し,冷却後,ビール酵母によって糖(→炭水化物)を発酵させてエチルアルコールと炭酸ガス(→二酸化炭素)に変化させる。その後,貯蔵庫で冷蔵して成熟させ,透明にろ過すると生ビールが得られ,これを瓶詰または樽詰にして,65℃前後で殺菌する。アルコール濃度は 5%前後のものが多い。黒ビールのミュンヘンビール,淡色でホップのきいたピルゼンビール,両者の中間でこくのあるウィーンビールの 3種が代表的なものであったが,近年は世界的にドイツ式の低温下面発酵によるピルゼンビールに類する淡色型が大部分を占める。ドイツの一部などではコムギを原料とした酸味のあるものが愛飲される。(→麦芽発泡酒

ビール
Beale, Dorothea

[生]1831.3.21. ロンドン
[没]1906.11.9. チェルトナム
イギリスの女子中等教育振興の開拓者。 1848年新設のクイーンズ女子カレッジで F.モーリスについて学び,57年にウェストモーランドのカスタートンにあるクラージー・ドーターズ校 (C.ブロンテの『ジェーン・エア』のなかに出てくるローウッド校) の教頭となった。 58年チェルトナムの女子カレッジの校長に就任。 65年学校調査委員会の証人として女子中等教育の必要性を主張。 85年にチェルトナムに寄宿制の教員養成学校セント・ヒルダス・カレッジを設立した。 95~97年 F.M.バスの後を継いで女性校長協会の2代目の会長に就任,98年には社会教育,労働者教育のセンター,ロンドン・セント・ヒルダ・イーストを設立した。

ビール
Beal, Samuel

[生]1825.11.27.
[没]1889.8.20.
イギリスの中国仏教学者。ケンブリッジ大学卒業。 1852年海軍布教師となって中国に渡り,中国文化,特に宗教を研究。 77年ロンドン大学教授。『中国・日本に伝わる三蔵』 The Buddhist Tripitaka as it is known in China and Japan (1876) ,『中国の仏教』 Buddhism in China (84) などの著作や,翻訳"Travels of Fa-hian and Sung-yun,Buddhist Pilgrims from China to India" (69) ,"Si-yu-ki,the Records of the Western Kingdoms" (84) などがある。

ビール
Beale, Joseph Henry

[生]1861.10.12. マサチューセッツ,ドーチェスター
[没]1943.1.10. ケンブリッジ
アメリカの法学者。 1882年ハーバード大学卒業後,一時弁護士となり,97年からハーバード大学教授。その間,シカゴ大学ロー・スクール設立に参加し,またアメリカ法協会の設立に尽力。アメリカの大学で最初に国際私法を講じた教授で,法の属地性の原則に基づいて理論構成を行い,アメリカにおける国際私法学の先駆的地位にある。主著『抵触法判例選集』 Selection of Cases on the Conflict of Laws (3巻,1900) ,『抵触法論』 Treatise on the Conflict of Laws (3巻,35) 。

ビール
Biel

フランス語ではビエンヌ Bienne。スイス中部,ベルン州北西部の都市。ビール湖の北東端に位置する。ケルト起源の古い集落から発達,1275年に都市権を得た。著名な時計工場が立地し,チェーン,機械などの製造業が行われる。聖ベネディクト聖堂 (1451建設,1775修復) ,市庁舎 (1534) など中世の建造物が残る。鉄器時代後期のラ・テーヌ期の湖上集落遺跡からの出土器を納めたシュワープ博物館がある。人口5万 2670 (1991推計) 。

ビール
Biel, Gabriel

[生]1420頃.シュパイヤー
[没]1495.12.7. テュービンゲン
ドイツのスコラ哲学者,経済学者,神学者。 1484年テュービンゲン大学教授。唯名論の立場に立った。主著『神学命題要録』 Collectorium (1495) は P.ロンバルドゥス命題集についての W.オッカムの注釈の集成であり,ルターらに影響を与えた。

ビール
Bhīr

インド西部,マハーラーシュトラ州中部の町。ビール県の行政庁所在地。ショラープル北方約 140km,バラガート山脈北麓にあり,北方をゴダバリ川の支流が東流する。古代ヒンドゥー王朝から 14世紀にイスラムの支配下に入り,1947年までイスラム支配が続いた。綿花,亜麻仁,雑穀類の小集散地。革細工が行われ,特に革袋で知られる。人口 11万 2351 (1991) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報