日本歴史地名大系 「鳥加村」の解説 鳥加村とりかむら 長崎県:西彼杵郡西彼町鳥加村[現在地名]西彼町鳥加郷(とりかごう)大串(おおくし)村の南東にあり、北東部は内海に臨む。鳥加川が注ぐ入江に竹(たけ)島・前(まえ)ノ島がある。江戸時代は大村領の内海(うちめ)に属する。寛永五年(一六二八)キリシタン詮索の肝煎・問への申渡しでは「鳥加村」の源右衛門が署名、同じく同一六年「とりか村」庄屋の署名がみえる(「切支丹法度書」大村見聞集)。正保国絵図では高八四石余。正保郷帳(大村見聞集)では田七三石余・畠一〇石余とあり、大串本村とともに大串村のうちであった。「大村郷村記」では独立した村としての記載がなく、大串村の三町分(さんちようぶん)村の書上に鳥加の山林として用山五七町余・請山一町余・請林一反余とあり、雪浦(ゆきのうら)村(現大瀬戸町)と山境論があったことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by