鳥原村(読み)とりはらむら

日本歴史地名大系 「鳥原村」の解説

鳥原村
とりはらむら

[現在地名]新城市日吉ひよし

庭野にわの村の東、豊川左岸に沿い、大入だいにゆう川との合流点に位置する。八名やな郡に属した。村名は下吉田しもよしだ(現南設楽郡鳳来町)薬師やくし堂の鰐口に「三河国宇利庄鳥原村、寛正六年八月一日」とある。近世初頭は幕府領であり、寛文八年(一六六八)から安部氏領、元禄一四年(一七〇一)から安部小十郎信方領、宝永四年(一七〇七)当村のうち二四〇石余が信方の次男万次郎の所領となり、相給となった。


鳥原村
とりはらむら

[現在地名]白州町鳥原

釜無川上流右岸の同川とその支流の段丘上に位置し、北は下教来石しもきようらいし村。近世初頭の新田開発による荒田あらた松原まつばらの枝郷がある。慶長古高帳では高一三〇石余、幕府領、ほかに大明神(諏訪神社)領一石余。寛文一二年(一六七二)検地帳(県立図書館蔵)では高三四二石余、中田一町四反余・下田四町余・下々田八町余・山田六反余、上畑四町五反余・中畑一一町七反余・下畑一五町四反余・下々畑一六町八反余・山畑八町一反余、屋敷七反余。天明三年(一七八三)の鳥原村反別村境家人牛馬書上(渡辺源輝家文書)によると、田方惣反別五町二反余・畑方惣反別五八町八反余、東西八町余で東は笹尾ささお(現小淵沢町)境釜無川を限り、西は山岸まで。


鳥原村
とつぱらむら

[現在地名]黒埼町鳥原

立仏たちぼとけ村の南、東は楚川そがわ新田(現新潟市)の一部の善久ぜんく南西は鳥原新田、南東金巻かねまき村、西は北場きたば村。慶長一五年(一六一〇)溝口秀勝からの鳥原村肝煎百姓中宛開発免状(北方文化博物館蔵)によると三ヵ年間の年貢米用捨、入作者への役儀は課さないなどの恩典を得て、開発が免許された。正保国絵図では高三〇三石余で新発田藩領。寛文四年(一六六四)の新発田藩領分郷村高辻帳でも村高に変化はない。同七年と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)に家数一二二・人数一千四一とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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