鳥町村(読み)とりまちむら

日本歴史地名大系 「鳥町村」の解説

鳥町村
とりまちむら

[現在地名]三木市鳥町

和田わだ村の東に位置し、北は加東かとうかし(現小野市)。慶長国絵図に村名がみえる。江戸時代は初め姫路藩領、元和三年(一六一七)明石藩領となる(「寛政重修諸家譜」など)。寛永九年(一六三二)上知されたとみられ、正保郷帳では幕府領で、田方五八四石余・畑方八八石余。元禄郷帳では高七五〇石余。天保校訂紀氏雑録(日産厚生会佐倉厚生園蔵)などによると、延享元年(一七四四)から同三年までは大坂城代・出羽山形藩堀田氏領であった。宝暦一二年(一七六二)下総古河藩領となり、幕末に至ったと考えられる(「寛政重修諸家譜」・旧高旧領取調帳など)


鳥町村
ちようぢようむら

[現在地名]弘前市鳥町・浜の町東はまのまちひがし二―三丁目

弘前城下の西方にあり、東は萢中やちなか村、東南はまノ町、北は外瀬とのせ村に接する。

貞享四年(一六八七)検地帳によれば、村高一九九・七七三石、うち田方一八九・四九二石、畑方一〇・二八一石。田位は上々田から下田までで、斗代は上々田が一・四石と高い。市太夫抱の熊野堂と、建物はないが村中抱の雷電社地があった。漆木はない。屋敷地は二・三五二石で、屋敷持は八名。元禄三年(一六九〇)には藤代組に属し、村位は上とある(平山日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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