鳩ヶ谷町(読み)はとがやまち

日本歴史地名大系 「鳩ヶ谷町」の解説

鳩ヶ谷町
はとがやまち

[現在地名]鳩ヶ谷市本町ほんちよう一―四丁目・坂下町さかしたちよう一―四丁目

現鳩ヶ谷市の東部に位置し、北は浦寺うらでら村、西はさと村、南は小淵おぶち村など、東は赤井あかい(現川口市)台地低地が複雑に入組む。西側の台地上を日光御成道南北に通り、同道を挟んで両側に町場が形成された。南側の台地と低地の境を淵江堀ふちえぼり用水(見沼代用水東縁)が東流する(「鳩ヶ谷宿絵図」氷川神社蔵)中世には鳩谷はとがや郷に含まれた。江戸時代には舎人とねり領に属した(風土記稿)。田園簿によると田二〇四石余・畑二二六石余。江戸時代を通じて幕府領であったと考えられる(同書・改革組合取調書など)。享保一六年(一七三一)八斗余の新田高入れがあり都合四〇六石余(寛政一一年「鳩ヶ谷宿明細書上」船戸家文書)。寛政一一年(一七九九)の家数一八六・人数七四一で、職人・商人等は医師六・神職一・出家一・道心三・修験三、ほかに酒造株持四・油絞株持三・醤油造一・質物商八・穀物売捌株持一九・藁灰売捌株持一一・酒酢類他荒物小売商三〇・木挽二・杣四・蕎麦粉等石臼稼二・染物稼二・木綿晒稼一・馬医職一・畳職一・提灯張替一・髪結四(同明細書上)。同一二年の酒造高三六石・冥加金三六〇文(「宿方酒造人造米高并冥加永書上」同文書)。化政期の家数一八〇余。当町では毎月三・八の日に六斎市が立った(風土記稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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