日本歴史地名大系 「草加宿」の解説
草加宿
そうかしゆく
- 埼玉県:草加市
- 草加宿
綾瀬川西岸を北上する日光道中に設けられた江戸から二番目の宿。
前掲草加宿由来では、当初千住宿と越谷宿の間四里を継立ていたが、この間一二〇間に及ぶ長沼では船を利用しなければならず、また四里の距離の継立に人馬とも難渋したため奉行所に願が出され、両宿の真ん中に宿立てが許された。このとき瀬崎村名主が命を受けて宿地割などを行ったといい、その年代を寛永七年としている。宿駅設置当初は谷古宇村・宿篠葉村・南草加村の宿三村が核となったという。元禄六年(一六九三)の家別役勤出入一件控書(東京都立中央図書館蔵)に収められている寛永六年の検地時の様子を伝えるとされる御水帳之面屋敷書上ケ覚に立野村・原嶋村・吉笹原村・北草加村の四村が宿内に伝馬屋敷をもつと記すから、この四ヵ村が加わって当初七箇村宿組として草加宿が発足したとも推定される。なお谷古宇・弥惣右衛門新田・宿篠葉・南草加・与左衛門新田の五村は先頃より屋敷がないという記述もあり、新田を除く谷古宇・宿篠葉・南草加の三ヵ村にまたがって新宿が立てられたため、三ヵ村は伝馬屋敷を必要としなかったとも考えられよう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報