鴻野山村(読み)こうのやまむら

日本歴史地名大系 「鴻野山村」の解説

鴻野山村
こうのやまむら

[現在地名]南那須町鴻野山

小白井こじろい村の南に位置する。西は鍛冶沢かじがさわ(現塩谷郡氏家町)など。小貝こかい川支流おお川の最上流域にあたり、関街道(福原経由)が通る。鴻之山とも記した。元亀三年(一五七二)七月日の那須政資法要香銭注文写(那須文書)に「かうの山ふさくニよりて」とみえ、天文一五年(一五四六)に死んだ那須政資の法要の際に当地は不作で、香典少額であった。江戸時代を通じ大田原藩領。慶安郷帳では田高一四石余・畑高一三八石余。明暦三年(一六五七)の関街道宿々連判手形(岡本光明文書)には当地の問屋として平七・左吉の名がみえる。


鴻野山村
こうのやまむら

[現在地名]石下町鴻野山

馬場ばば村の南に所在。古くは南西をいい沼、西をいり沼、北を瀬戸せと沼に囲まれていた。「寛文朱印留」には「鵠山村」とあり古河藩主の叔父土井利房領。「飯湖新発記」によれば天和二年(一六八二)幕府代官万年頼治・近山正友による改出し、元禄一六年(一七〇三)平岡信由による改出し、宝永五年(一七〇八)旗本榊原秀豊・小長谷友長・山本左衛門による改出しがあった。同三年以降榊原・小長谷・山本各氏の三給。享保一〇年(一七二五)の村高五一三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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