鵜丸城跡(読み)うのまるじようあと

日本歴史地名大系 「鵜丸城跡」の解説

鵜丸城跡
うのまるじようあと

[現在地名]温泉津町温泉津

温泉津湾の湾頭部にあった山城。永禄一三年(一五七〇)毛利元就・輝元父子によって築かれた。山陰地域における毛利水軍の基地、軍需物資補給のための兵站基地として築かれ、のち飛躍的に機能を拡大した温泉津湊の掌握警護にあたった。永禄一二年六月毛利軍の主力が九州に出陣した隙を狙って出雲に進入した尼子勝久軍を、富田とだ(現広瀬町)の南方布部ふべ(現同上)で撃退した後、尼子氏の再度の来襲に備えて急遽築造された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む