鵜飼庄(読み)うかいのしよう

日本歴史地名大系 「鵜飼庄」の解説

鵜飼庄
うかいのしよう

板屋いたや川と伊自良いじら川に挟まれた下鵜飼一帯に比定される。「和名抄」方県郡六郷の一つに鵜養うかい郷がある。平安時代末期に立庄されたと思われる。建保三年(一二一五)一〇月一八日の鵜飼庄沙汰人・百姓等申状案(熊谷家文書)によれば、当庄の地頭と領家・預所の相論に関し、沙汰人・百姓らが山野・検断・魚年貢などについて前地頭山内与一右衛門の先例を報告している。魚年貢が課されていることが注目される。山内氏は建保元年の和田合戦に巻込まれ、地頭職を没収されたらしい。安貞二年(一二二八)八月五日の七条院領目録(東寺百合文書)では、当時七条院領であったものが修明門院に譲られたことが知られる。正安二年(一三〇〇)一月二三日、沙弥了道は鵜飼西庄上三ヵ村の今村藤四郎入道の屋敷名田(田二反・畠六反)を甥の泰高に譲り、元応元年(一三一九)六月五日に幕府の安堵外題を受けているが(「沙弥了道所領譲状并安堵外題」熊谷家文書)、当時、当庄が東西に分れ、さらに上下に分れていたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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