鶴原村(読み)つるはらむら

日本歴史地名大系 「鶴原村」の解説

鶴原村
つるはらむら

[現在地名]泉佐野市鶴原一―五丁目・鶴原・佐野台さのだい

現泉佐野市の北東端に位置し、北西流する見出みで川の左岸にある。村の北西側は大阪湾に臨み、村内を紀州街道が通る。地名は天福二年(一二三四)六月二五日の官宣旨(九条家文書)に「鶴原荒野」とみえ、同年一二月二日の日根庄諸村田畠在家等注文案(同文書)日根ひね庄を構成する四ヵ村の一として村名がみえる。なお「後鳥羽院熊野御幸記」建仁元年(一二〇一)一〇月七日の記事に「昼御宿此野鶴子云々」とみえるのは当地をさすか。天正一三年(一五八五)三月、豊臣秀吉が和泉国南部から紀伊国北部で勢力をもっていた根来・雑賀勢を攻撃するため和泉国に進攻した時、当地の加賀又大夫や陸左近らは畠中はたけなか(現貝塚市)に拠って抵抗したという(根来軍記)


鶴原村
つるばるむら

[現在地名]竹田市きみその

玉来たまらい川中流湾曲部の南岸にある。正保元禄・天保の各郷帳にみえず、栃瀬とちぜ村の枝村と考えられる。貞享(一六八四―八八)頃には村位は中、高七三石余とある(農民一揆)。弘化物成帳では君ヶ園組のうち、村位は中、免一〇成、田六五石余(六町一反余)・畑六石余(九反余)・屋敷一石余(一反余)で、開田はほんのわずかで、開畑はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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