近衛家実(読み)このえ いえざね

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近衛家実」の解説

近衛家実 このえ-いえざね

1179-1243* 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
治承(じしょう)3年生まれ。近衛基通(もとみち)の長男左大臣をへて,建永元年(1206)摂政,氏長者となり,同年関白。以後23年にわたり,土御門(つちみかど),順徳,後堀河の3代の天皇の摂政,関白をつとめた。承久(じょうきゅう)3年太政大臣。従一位。仁治(にんじ)3年12月27日死去。64歳。号は猪隈(いのくま)。日記に「猪隈関白記」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の近衛家実の言及

【猪隈関白記】より

…鎌倉時代前期の公家近衛家実の日記。1197‐1217年(建久8‐建保5)の分が陽明文庫に自筆本で23巻残存。…

【宣陽門院】より

…後鳥羽上皇はその子雅成親王を女院の猶子とし,女院領の伝領をねらったが,承久の乱により女院領はいったん幕府に没収され,22年(貞応1)に返付された。その後,女院は近衛家実の女長子を養子とし,26年(嘉禄2)入内させて後堀河天皇の中宮にするなど,家実と結んで政局に介入,九条道家と競ったが敗退し,長子は29年(寛喜1)院号宣下,鷹司院と称した。 女院はすでに16年(建保4)信頼する仁和寺菩提院の行遍を通じ,別当三位家領阿波国宍咋荘を高野山蓮華乗院に寄進していたが,政争に敗退後,行遍への信任を強め,38年(暦仁1)庁分大和国平野殿荘,翌39年(延応1)別当三位家領伊予国弓削島荘を東寺に,同じく周防国秋穂二嶋荘を菩提院に寄進,東寺に供僧設置をはかる長者行遍を援助した。…

※「近衛家実」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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