朝日日本歴史人物事典 「近衛家実」の解説
近衛家実
生年:治承3(1179)
鎌倉前期の公卿。猪隈(熊)殿と号す。近衛基通の長子。12歳のとき後白河法皇の御所で元服し,叙爵。翌年従三位になり公卿に列する。その後も昇進は早く,元久1(1204)年に左大臣,翌々年に摂政,次いで関白となった。以後承久の乱(1221)前後の2カ月半を除いて,安貞2(1228)年まで摂関の地位にあった。ただし政治の実権を握ったのは貞応2(1223)年以降のことである。この年院政をしいていた後高倉上皇が没すると,鎌倉幕府は使者を京都に送り家実への支援を表明,かくて家実の施政が開始される。その政治方針は伝統に回帰することにあり,復古的で消極的な措置がとられた。承久の乱で敗北した朝廷にとり,こうした施政は何の益にもならなかった。綱紀は弛緩し,財政は悪化する一方であった。家実はこうした事態に有効な手段を講じることなく,安貞2年に九条道家に政権をあけ渡す。仁治2(1241)年出家,法名円心。猪隈殿で没した。日記『猪隈関白記』がある。
(本郷和人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報