鹿島八幡神社
かしまはちまんじんじや
棚倉街道の東側、久慈川南岸の丘上に森に囲まれて鎮座する。祭神は武甕槌命・誉田別尊。旧村社。額田神社とも称する。
縁起によると当社は二社を合祀したもので、鹿島神社は大同元年(八〇六)宮ノ内に勧請、のち佐竹昌義が再建造営した。八幡神社は誉田別尊を祭神とし、康平六年(一〇六三)源頼義が奥州下向の際、西馬場の地に勧請して戦勝を祈願、永保元年(一〇八一)義家が社殿と境内参道を修造して報賽した。元禄七年(一六九四)徳川光圀が現在地にこの両神社を奉遷合祀し、社殿を改築して奉幣、神器その他の神宝を奉納し、額田神宮と称した(茨城県神社誌)。明治六年(一八七三)現社号に改める。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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