神野貝塚(読み)かみのかいづか

日本歴史地名大系 「神野貝塚」の解説

神野貝塚
かみのかいづか

[現在地名]知名町大津勘 神野

太平洋に面する臨海砂丘地に立地。昭和五七年(一九八二)・同五八年の二ヵ年にわたり、鹿児島大学と沖縄国際大学の共同で調査された。土器は、九州の轟式土器、屋久島の松山式土器、沖縄の室川下層式・伊波式・具志川式の各土器、奄美の面縄前庭様式、面縄東洞式、嘉徳I式・II式・III式の各土器と新形式の神野A・B・C・D・E式などがあり、九州と南島の島嶼間の交流がうかがえる。


神野貝塚
かのかいづか

[現在地名]鹿島町宮中

北浦を望む標高約三六メートルの台地上にある。貝塚の貝層の厚さは約三〇センチ。ハマグリアカニシツメタガイサルボウマテガイなどの貝類がみられ、ほかにタイなどの魚骨、鹿角製の勾玉、骨製銛、骨鏃、土製腕輪、縄文晩期の水筒形注口土器が出土し、貝塚表面から子持勾玉石鏃石斧などが出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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