麦島村(読み)むぎしまむら

日本歴史地名大系 「麦島村」の解説

麦島村
むぎしまむら

[現在地名]八代麦島東むぎしまひがし町・麦島西むぎしまにし町・むかえ町・迎町一―二丁目・古城ふるしろ町・栴檀せんだん町・千反せんだん町一―二丁目・中北なかきた

球磨川が八代海に注ぐ手前で本流まえ川とに分流する三角洲に立地する。北は前川を隔てて八代城下に、南は球磨川本流を隔てて植柳うやなぎ村・大福寺だいふくじ村に相対する陸海交通の要衝。「八代日記」天文二二年(一五五三)一月一九日条に「麦ノ嶋の田十郎」なる人物がみえ、下人追捕の一件が記されている。「国誌」に天正一六年(一五八八)小西行長が古麓ふるふもと(現古麓町)を麦島に移築させたとあり、麦島城東方にはふる町・細工さいく町などの小さな城下町が形成されたという。慶長八年(一六〇三)加藤清正の命により、シモン竹田五兵衛の母ヨハンナ、ヨハネ南五郎左衛門の妻マグダレナなど四名のキリシタンが処刑された地と伝える。


麦島村
むぎじまむら

[現在地名]婦中町麦島

井田いだ川中流右岸に隣接し、北は笹倉ささくら村、南はふくろ村。袋村の枝村で、同村より二〇余年後に開拓されたと伝える。洪水の折に村の西方地蔵尊が流れ着き、その後自然に麦を生じ小島のようになったことが地名の由来という(婦負郡志)正保郷帳では袋村の内と記される。享保六年(一七二一)には高一〇四石余(「村付高改帳」島倉家文書)。寛政二年(一七九〇)の古高一〇四石余・定免五ツ六歩六厘、新田高二三石余・平均免一ツ九歩四毛、銀納畑四〇〇歩・代銀五匁一分二厘、小物成は鮭川役一〇匁・鮎川役三匁・柳指役三匁(高物成品々手鏡)。なお寛文一一年(一六七一)から宝暦一三年(一七六三)まで計六回にわたって井田川出水によるとみられる永引二六石余がある(「富山藩高物成帳」斎藤家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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