20世紀日本人名事典 「麻生正蔵」の解説 麻生 正蔵アソウ ショウゾウ 明治〜昭和期の教育家 日本女子大学校校長。 生年文久4年1月9日(1864年) 没年昭和24(1949)年11月28日 出生地豊後国玖珠郡東飯田村見留(大分県九重町) 学歴〔年〕同志社〔明治22年〕卒 経歴東京の帝大文科大学哲学科選科生となる。明治27年女子教育家の成瀬仁蔵に請われ、日本女子大設立に尽力するとともに、彼が創刊した雑誌「女子教育」の執筆を分担。34年開校と同時に学監、大正8年から成瀬の後を継いで学長となり、昭和6年まで在任。女性蔑視時代に男女平等の教育を説いた。著書に「家庭教育の原理と実際」「時代と民情に即した家庭教育」、訳書にエムメット・デニスモーア「男女対等論」。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「麻生正蔵」の解説 麻生正蔵 あそう-しょうぞう 1864-1949 明治-昭和時代前期の教育者。文久4年1月9日生まれ。同志社英学校にまなび新島襄(じょう)に感化をうける。同志社でおしえ,成瀬仁蔵とともに日本女子大学校の創設につとめ,明治34年開校とともに学監,大正8年2代校長となる。昭和24年11月28日死去。86歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。著作に「女子教育」(共著)。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by