20世紀日本人名事典 「黒岡帯刀」の解説
黒岡 帯刀
クロオカ タテワキ
明治〜昭和期の海軍中将
- 生年
- 嘉永4年8月2日(1851年)
- 没年
- 昭和2(1927)年12月19日
- 出生地
- 薩摩国(鹿児島県)
- 主な受賞名〔年〕
- 勲二等瑞宝章,旭日重光章
- 経歴
- 鹿児島藩士の家に生まれる。明治3年英国留学を命じられ、英仏両国で海軍を学ぶ。6年帰国、少尉補に任じる。8年中尉となり、ウラジオストックに派遣され、沿海及び朝鮮国境のロシア領を偵察。同年大尉、13年少佐に進み、威仁親王英国留学に随従。16年帰国して中佐となり、軍事部に勤務。18年伊藤博文に随行して天津条約成立に参与した。19年大佐、参謀本部海軍部第3局長、のち横須賀鎮守府参謀長を経て、筑波艦長となり、日露戦争に従軍。30年浪速艦長、少将に進み、台湾総督府参謀長、33年北清事変には天津で画策し功を立てた。36年中将となり、同年予備役、貴院議員となった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報