黒崎開村(読み)くろさきびらきむら

日本歴史地名大系 「黒崎開村」の解説

黒崎開村
くろさきびらきむら

[現在地名]高田町黒崎開

南新開みなみしんがい村・北新開村の西方および倉永くらなが(現大牟田市)北方地先の内海干潟に築立てられた総面積約二〇〇町歩に及ぶ広大な干拓(開村誌)三池郡に属する。潮止め堤防の延長は、南は黒崎村金助きんすけ坂下(現大牟田市)より北は江浦えのうら村の楠田くすだ川河口三開さんがい水門まで約四二〇〇メートルに及ぶ。南新開村倉永村との間はかつては内海が湾入し、倉永村には津口番所が置かれていたが(柳川藩領図)、黒崎開の完成により内陸化した。

当村の干拓は柳川藩の家老立花勝兵衛が同藩立花氏三代藩主鑑虎の命を受け、普請役に今村五郎兵衛・田尻惣助を起用して取組ませた藩営の新田開発事業であった。工期については、延宝六年(一六七八)から貞享二年(一六八五)までの八年間とみる説が一般的であるが、宮永山感応院旧記(感応院文書)の黒崎御開の記事に「元禄六酉年御開被思召立候付」とあるのを着工とみなし、江浦村社家日記写(「吉弘儀左衛門家御書並諸記録」柳河藩政史料)にみえる「元禄十丁丑年黒崎御開御成就ニ成」をもって竣工とみる説もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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