朝日日本歴史人物事典 「黒沢雉岡」の解説
黒沢雉岡
生年:正徳3.2.8(1713.3.4)
江戸中期の儒学者。田安家(三卿の一)の侍読として仕えた。名は万新,字は新卿。雉岡は号。武蔵国児玉郡(埼玉県)に生まれたが,早くから頭角を現し,江戸に出て林大学頭の私塾に学んだ。明和3(1766)年から江戸で私塾を開いていたが,安永3(1774)年から田安家に仕えた。松平定信は田安家にいたころから師事しており,のちに老中になってからも雉岡に疑義を質問したという。学問は朱子学を中心にしながら諸家の説を折衷したとされる。柴野栗山らと親交があり,一説には頼春水を定信に引き会わせ,寛政異学の禁(1790)の発端を作ったともいわれる。<参考文献>渋沢栄一『楽翁公伝』,五弓久文編『事実文編』40巻
(梅澤秀夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報