黒沢雉岡(読み)くろさわ・ちこう

朝日日本歴史人物事典 「黒沢雉岡」の解説

黒沢雉岡

没年:寛政8.12.6(1797.1.3)
生年正徳3.2.8(1713.3.4)
江戸中期の儒学者。田安家(三卿の一)の侍読として仕えた。名は万新,字は新卿。雉岡は号。武蔵児玉郡(埼玉県)に生まれたが,早くから頭角現し,江戸に出て林大学頭の私塾に学んだ。明和3(1766)年から江戸で私塾を開いていたが,安永3(1774)年から田安家に仕えた。松平定信は田安家にいたころから師事しており,のちに老中になってからも雉岡に疑義を質問したという。学問は朱子学を中心にしながら諸家の説を折衷したとされる。柴野栗山らと親交があり,一説には頼春水を定信に引き会わせ,寛政異学の禁(1790)の発端を作ったともいわれる。<参考文献>渋沢栄一『楽翁公伝』,五弓久文編『事実文編』40巻

(梅澤秀夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒沢雉岡」の解説

黒沢雉岡 くろさわ-ちこう

1713-1797* 江戸時代中期-後期儒者
正徳(しょうとく)3年2月8日生まれ。江戸の林家にまなぶ。安永3年田安家につかえ侍読となる。老中松平定信(さだのぶ)の諮問(しもん)をたびたびうけた。柴野栗山(しばの-りつざん),大塚孝綽(たかやす)らと親交があった。寛政8年12月6日死去。84歳。武蔵(むさし)児玉郡(埼玉県)出身。名は万新。字(あざな)は新卿。通称は右仲。著作に「程易衍旨」「遊郷夜談」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「黒沢雉岡」の解説

黒沢雉岡 (くろさわちこう)

生年月日:1713年2月8日
江戸時代中期の儒学者
1797年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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