朝日日本歴史人物事典 「黒田桃民」の解説
黒田桃民
生年:天保9.6.11(1838.7.31)
幕末の尊攘派志士。幼名道之助,通称信一郎。号は三千赤城。上野国新田郡村田村(群馬県新田町)黒田道慶の長男。母はとも子。武蔵国行田で医学を修め,のちに江戸で修学。祖父の死により帰郷して家業の医師を継ぐが,尊攘論者となり,一時同志の大館謙三郎らと新徴組に加わる。慶応3(1867)年には薩摩藩による幕府挑発行動のひとつ,下野国出流山挙兵に呼応して新田・足利両氏の血を引く新田満次郎の擁立を画策,首謀者として捕らえられた。翌明治1(1868)年,東山道先鋒総督岩倉具定により獄から出されるとすぐに新田軍に加わり,東毛地方の一揆を抑えるために奔走。のち帰郷して戸長などを務めた。<参考文献>奥山陽『東毛志士黒田桃民小伝』
(高木俊輔)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報