黒部銑次郎(読み)くろべ・せんじろう

朝日日本歴史人物事典 「黒部銑次郎」の解説

黒部銑次郎

没年:明治45(1912)
生年弘化4.8(1847)
塩産地の徳島に,359石取り徳島藩士銑之助の次男として生まれ,維新後,岩塩探索生涯をかけた。藩校に学び,上京して慶応義塾に入門。欧米の岩塩坑,塩泉の製塩を知り,日本での岩塩開発を志す。調査の末,伊那(長野県)大鹿村鹿塩を選定し,明治9(1876)年坑道掘削を開始,塩泉の製塩所を建てた。塩泉からの製品を第1回内国勧業博覧会に「山塩」として出品,賞詞を受けた。肝心の岩塩はなかなか見当たらなかったが,信念はゆるがず,坑道掘削を30年余続けた。41年政府の調査団が現地を調査,結論は「鹿塩に岩塩層なし」。鹿塩に墓が残る。<参考文献>葵二郎「白い鉱山師」(『日本専売新聞』1969年5月25日から64回連載)

(村上正祥)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒部銑次郎」の解説

黒部銑次郎 くろべ-せんじろう

1847-1912 明治時代の鉱山師。
弘化(こうか)4年8月生まれ。岩塩の採掘をこころざし,明治9年長野県伊那(いな)郡の鹿塩(かしお)で掘削をはじめる。岩塩層はみつからなかったが,松本順のすすめで25年保養目的の塩泉浴場を開業,鹿塩鉱泉のはじまりとなった。大正元年死去。66歳。阿波(あわ)(徳島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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