龍穏院(読み)りようおんいん

日本歴史地名大系 「龍穏院」の解説

龍穏院
りようおんいん

[現在地名]三春町荒町

町屋敷のあら町にあり、秋田山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。応永七年(一四〇〇)以前に月泉良印により開かれた。もと陸奥国十三とさ(現青森県市浦村)にあって智足ちそく院と称し、庇護者下国安東氏の盛衰を反映して消長した。のち再興されて長亨ちようこう寺と改め、さらに安東愛季の曾祖父忠季の法号によって国清こくせい寺と改め、常陸国宍戸ししど(現茨城県友部町)で愛季の法号にちなんで龍穏院とし、一一世天室宗龍を迎えて開山とした。現在地にはかつて大慶たいけい(大桂寺とも)があったが、正保二年(一六四五)に秋田氏が三春に移ると、それを丈六じようろくに移し、跡地に龍穏院を置いて菩提所とし、一七世月宮慧閑を招いて開山とした。

龍穏院
りゆうおんいん

[現在地名]長岡市乙吉町

乙吉おとよしの集落の南東にある。曹洞宗、安楽山と号し、本尊観世音。寺伝によると、源義家が奥州遠征のとき乙吉で若宮を亡くし、一宇を建立して安楽あんらく寺と称したのが始まりと伝える。当初は密宗であったが、文安四年(一四四七)天巽が心華と関東厚木あつぎ(現神奈川県厚木市)松石しようせき寺から来て廃寺同然のこの寺に入り、曹洞宗に改めた。天巽は康正二年(一四五六)席を心華に譲り、上州へ赴き、迦葉山龍華院を開創。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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