日本歴史地名大系 「龍門村」の解説 龍門村りゆうもんむら 滋賀県:大津市南部地域龍門村[現在地名]大津市大石龍門町(おおいしりゆうもんちよう)大石中(おおいしなか)村の南、瀬田(せた)川支流の大石川の谷沿いに開ける。南西の小田原(おだわら)村より山城国へ抜ける宇治田原(うじたわら)越が通る。地名は龍宮の門の略というが不明。「近江国注進風土記」には名所として「龍門、栗太」とみえ、中世には龍門庄として推移、近世は大石五ヵ村の一。八幡神社に残る天文九年(一五四〇)の社殿造営の際の棟札には「時之地頭小山源左衛門」をはじめ修理亮殿・中殿・新殿など大石に勢力を誇った大石一族により寄進されたことが記される。 龍門村りゆうもんむら 群馬県:前橋市龍門村[現在地名]前橋市亀里町(かめさとまち)西は茂右衛門分(もえもんぶん)村・下公田(しもくでん)村、北は上佐鳥(かみさどり)村、東は端気(はけ)川で下佐鳥村に対し、南東は阿内宿(あうちしゆく)村、南は矢島(やじま)村。元禄郷帳に「阿内宿村分れ」として高二〇一石八斗とある。元禄二年(一六八九)の田一五町六反余・畑四町八反余(「検地帳」前橋市役所蔵)、文政三年(一八二〇)の遺跡田畑書上帳(亀里町有文書)は、この年までに退転した者と、その者の耕作地を一筆ごとに書上げたもので、合計すると退転者は一八名で、耕作者不在の田畑は八町六反余となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by