万造寺 斉(読み)マンゾウジ ヒトシ

20世紀日本人名事典 「万造寺 斉」の解説

万造寺 斉
マンゾウジ ヒトシ

明治〜昭和期の歌人,小説家,英文学者



生年
明治19(1886)年7月29日

没年
昭和32(1957)年7月9日

出生地
鹿児島県日置郡羽島村(現・串木野市)

学歴〔年〕
東京帝国大学英文科〔明治45〕卒

経歴
中学時代から「新声」などに投稿し、のち新詩社に参加。「明星」を経て「スバル」に参加し、大正3年「我等」を創刊。この時から短歌のみならず小説や翻訳面でも活躍する。大正6年愛媛県立西条中学英語教師となり、自己所有地を農民に開放し、京都へ移り、京都帝大で学び京都府立三中、梅花女専、京都師範、大谷大学教授などを歴任。昭和6年歌誌「街道」を創刊。歌集に「憧憬漂泊」「蒼波集」などがあり、随筆集に「春を待ちつゝ」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「万造寺 斉」の解説

万造寺斉 まんぞうじ-ひとし

1886-1957 明治-昭和時代の歌人,英文学者。
明治19年7月29日生まれ。「明星」「スバル」などで活躍。大正7年郷里鹿児島県の農地小作人にゆずり,京都にうつりすむ。昭和6年「街道」を創刊,主宰。のち大谷大教授。歌集に「憧憬と漂泊」「蒼波集」。小説,随筆,翻訳もおおい。昭和32年7月9日死去。70歳。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例