日本がアメリカ合衆国ハワイ州ハワイ島のマウナ・ケア山頂の標高4200メートルに建設した有効口径8.2メートルの大型光学赤外線望遠鏡の愛称。文部科学省国立天文台が中心となり、日本の天文学研究者が総力をあげて取り組んだもので、1991年(平成3)4月から建設を開始し、1999年に完成。「すばる」は単一鏡の望遠鏡としては世界最大の有効口径8.2メートルを有し、21世紀の新しい天文学のフロンティアを開拓することが期待されている。とくに宇宙の構造と進化、星と惑星の形成、宇宙の元素合成史などの解明という人類にとって根元的な課題に取り組む。
「すばる」は従来の4メートル級望遠鏡に比べ口径が2倍となっており、また新しい技術を取り入れた望遠鏡である。その特徴は、
(1)直径8.3メートルの主鏡の厚さは20センチメートルと薄型鏡を採用
(2)薄型鏡を理想形状に保つため261か所の支持点で能動的に支える支持機構を採用
(3)架台形式は重力に対して対称な経緯台式
(4)鏡支持、架台の天体追尾駆動などに完全なコンピュータ制御が実現
(5)世界でも天文観測条件(天候、空の暗さ、大気の安定性など)の最適地の一つであるハワイ島マウナ・ケア山頂に設置
(6)地上近くの乱れた空気が光路内に入らないように、楕円(だえん)柱型のドームを採用
などである。8メートル級望遠鏡は「すばる」のほかに、ヨーロッパ南天天文台(ESO)のVLT(Very Large Telescopes、8.2メートルのもの4台)、アメリカ、イギリス、カナダなどの連合のGEMINI(ジェミニ。南天、北天にそれぞれ8.1メートルのものが1台)が建設され、いずれも前記(1)~(6)の要素をもっている。そのなかでもとくに「すばる」が優れているのは、主鏡の研磨精度とそれを支える能動支持機構とによる主鏡の光学性能である。また、特徴(6)のドーム形状はユニークで空気の乱れが少なく、周りのほかの天文台の望遠鏡に比べシャープな星像が得られている。これは、検出器の単位面積当りに入る光量が多くなり、観測効率の向上をもたらすからである。
これまで日本最大の望遠鏡は、国立天文台岡山天体物理観測所の1.88メートル望遠鏡であったが、「すばる」は口径にして4倍以上の飛躍であり、その活躍には目をみはるものがある。「すばる」の観測成果として、宇宙最遠の銀河の発見、コロナグラフによる系外惑星の発見、元素の起源にせまる古い星の元素組成解析などがある。
[安藤裕康]
『安藤裕康著『世界最大の望遠鏡「すばる」』(1998・平凡社)』▽『小平桂一著『宇宙の果てまで』(1999・文芸春秋)』▽『野本陽代著『巨大望遠鏡時代――すばるとそのライバルたち』(2001・岩波書店)』▽『小平桂一著『宇宙の果てまで――すばる大望遠鏡プロジェクト20年の軌跡』(ハヤカワ文庫NF)』▽『海部宣男著、宮下曉彦写真『カラー版 すばる望遠鏡の宇宙――ハワイからの挑戦』(岩波新書)』▽『谷口義明著『暗黒宇宙で銀河が生まれる――ハッブル&すばる望遠鏡が見た137億年宇宙の真実』(サイエンス・アイ新書)』
文芸雑誌。1909年(明治42)1月~13年(大正2)12月。全60冊。昴(スバル)発行所発行。編集兼発行人石川啄木(たくぼく)、のち江南(えなみ)文三。森鴎外(おうがい)を指導者にいただき、『明星』脱退組の北原白秋、木下杢太郎(もくたろう)、吉井勇らと新詩社系の啄木、平出修(ひらいでしゅう)、平野万里(ばんり)らによって創刊。ほぼ『明星』を継承、詩歌を中心に唯美的な新浪漫(ろうまん)主義思潮を主導し反自然主義の有力な拠点となった。小説・戯曲では、鴎外の文壇再活躍を象徴する『半日』『ヰタ・セクスアリス』(ともに1909)、『青年』(1910)、『雁(がん)』(1911)、杢太郎の『南蠻寺(なんばんじ)門前』(1909)、『和泉(いずみ)屋染物店』(1911)、長田(ながた)幹彦(みきひこ)の『澪(みお)』(1911)などの名作が載り、詩歌では、白秋、杢太郎、勇、高村光太郎らがのびのびと自己の表現世界を示した。とくに『道程』(1914)に結晶する光太郎の詩業は、啄木の評論とともに近代日本の矛盾に鋭く迫り、新しい時代を用意した。なお、復刻版『スバル』(1965・臨川書店)がある。
[石崎 等]
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文芸誌。1909年(明治42)1月~13年(大正2)12月。全60冊。《明星》廃刊直後から,北原白秋,木下杢太郎,吉井勇,長田秀雄,石川啄木,平野万里,高村光太郎ら新詩社系の青年詩人が中心同人となって発刊。指導者に森鷗外を迎え,与謝野寛・晶子を顧問格とし,上田敏,永井荷風,谷崎潤一郎,小山内薫,石井柏亭,山本鼎ら,学問,小説,演劇,美術ほか各分野の第一線推進者の協力を得た。興隆する自然主義に対抗し,理想主義的・耽美派的な芸術思想・作品の結集する場として大きな役割を果たした。鷗外は《ヰタ・セクスアリス》《青年》《雁》などの小説のほか,戯曲《プルムウラ》ほか,また《椋鳥通信》などを精力的に発表した。明治末年から大正初年にかけての白秋,杢太郎,勇,光太郎ら詩人,歌人の代表的な詩歌集に収められる作品が,華やかに誌面を彩る一方,室生犀星,佐藤春夫,堀口大学らの新人が台頭し,大正文学の大きな出発点となった。
執筆者:大岡 信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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明治末~大正期の詩歌を中心とした文芸雑誌。1909年(明治42)1月創刊,13年(大正2)12月終刊。「明星」廃刊後,同誌に関係した石川啄木・平野万里・吉井勇らが中心となり,平出修が財政上の負担をして創刊した。主要な同人は木下杢太郎(もくたろう)・北原白秋・高村光太郎ら。自然主義全盛の時代にあって,耽美(たんび)主義勃興の先駆となる。また森鴎外が指導的役割をはたしており,鴎外のこの時期の主要な作品を掲載。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…同年三木露風が《廃園》を出し,白露時代と並称された。北原白秋,木下杢太郎ら耽美派とよばれる詩人たちは《スバル》に拠って自然主義運動のあとに来るべき文学・芸術上の新思潮を準備した。《スバル》は指導者に森鷗外を仰ぎ,石川啄木,吉井勇その他多くの新進詩人,作家,劇作家らを擁した。…
※「スバル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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