三島 雅夫(読み)ミシマ マサオ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「三島 雅夫」の解説

三島 雅夫
ミシマ マサオ


職業
俳優

本名
長岡 正雄

生年月日
明治39年 1月2日

出生地
新潟県 三島郡与板町(長岡市)

学歴
法政大学独文科〔昭和5年〕中退

経歴
大正13年イプセン会の「ヴェニス商人」で初舞台。新劇協会を経て、昭和2年築地小劇場に加わり、翌年小山内薫が急死すると新築地劇団に入団、9年には新協劇団の創立に参加して同劇団に移ったあと「夜明け前」や「火山灰地」などで好演し頭角を現した。新協の強制解散後の16年からは井上演劇道場に加わり、多くの東宝映画助演、おっとりした風貌と鋭い台詞で三枚目悪役もこなし、多くのファンを持っていた。戦後20年末の新劇合同公演「桜の園」でローバーヒンを演じたあとは、再建新協や新設泉座を経て31年からは劇団俳優座に加わり、「死せる魂」「東海道四谷怪談」「ハムレット」などで数々の名舞台を演じた。戦後の映画出演では芸術映画と娯楽映画とを問わず多数の作品に個性的な脇役として活躍。また安保体制打破新劇人会議の指導者の一人でもあった。

受賞
芸術祭賞奨励賞〔昭和39年〕(「東海道四谷怪談」の宅悦役)

没年月日
昭和48年 7月18日 (1973年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「三島 雅夫」の解説

三島 雅夫
ミシマ マサオ

昭和期の俳優



生年
明治39(1906)年1月2日

没年
昭和48(1973)年7月18日

出生地
新潟県三島郡与板町

本名
長岡 正雄

学歴〔年〕
法政大独文科〔昭和5年〕中退

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞奨励賞〔昭和39年〕(「東海道四谷怪談」の宅悦役)

経歴
大正13年イプセン会の「ヴェニスの商人」で初舞台。新劇協会を経て、昭和2年築地小劇場に加わり、翌年小山内薫が急死すると新築地劇団に入団、9年には新協劇団の創立に参加して同劇団に移ったあと「夜明け前」や「火山灰地」などで好演し頭角を現した。新協の強制解散後の16年からは井上演劇道場に加わり、多くの東宝映画に助演、おっとりした風貌と鋭い台詞で三枚目も悪役もこなし、多くのファンを持っていた。戦後20年末の新劇合同公演「桜の園」でローバーヒンを演じたあとは、再建新協や新設泉座を経て31年からは劇団俳優座に加わり、「死せる魂」「東海道四谷怪談」「ハムレット」などで数々の名舞台を演じた。戦後の映画出演では芸術映画と娯楽映画とを問わず多数の作品に個性的な脇役として活躍。また安保体制打破新劇人会議の指導者の一人でもあった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三島 雅夫」の解説

三島雅夫 みしま-まさお

1906-1973 昭和時代の俳優。
明治39年1月2日生まれ。昭和3年築地小劇場にはいり,のち新協劇団などに属す。戦後は泉座をへて31年俳優座へ入団,39年の「東海道四谷怪談」宅悦役で芸術祭奨励賞をうけた。映画にも多数出演。昭和48年7月18日死去。67歳。新潟県出身。法大中退。本名は長岡正雄。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「三島 雅夫」の解説

三島 雅夫 (みしま まさお)

生年月日:1906年1月2日
昭和時代の俳優
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三島 雅夫の言及

【新協劇団】より

…1934年左翼劇場の解散など,弾圧を受けるプロレタリア演劇運動の危機のなかで,新劇団の大同団結を提唱する村山知義(ともよし)の呼びかけに応じ,旧左翼劇場のメンバーを中核に新築地劇団からの参加者も加えて組織された。文芸・演出部の村山,久保栄(さかえ)を中心に,滝沢修,小沢栄太郎,細川ちか子(1905‐76),三島雅夫(1906‐73)らの演技陣によって,島崎藤村原作《夜明け前》,久保栄作《火山灰地》,久板(ひさいた)栄二郎作《北東の風》,真船(まふね)豊作《遁走譜(とんそうふ)》など社会主義リアリズムの力作を次々に上演し,第2次世界大戦前の新劇活動において一時期を画したが,40年8月19日,関係者の一斉検挙にあい,国家権力により強制的に解散させられた。 第2次大戦後,村山が再建にのりだし,46年2月には再建第1回公演を持った。…

※「三島 雅夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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