俊藤 浩滋(読み)シュンドウ コウジ

20世紀日本人名事典 「俊藤 浩滋」の解説

俊藤 浩滋
シュンドウ コウジ

昭和・平成期の映画プロデューサー



生年
大正5(1916)年11月27日

没年
平成13(2001)年10月12日

出生地
兵庫県神戸市

本名
俊藤 博(シュンドウ ヒロシ)

学歴〔年〕
第二神港商卒

主な受賞名〔年〕
牧野省三賞(第14回)〔昭和47年〕,藤本賞(特別賞 第18回)〔平成11年〕,日本アカデミー賞(会長特別賞 第25回)〔平成14年〕

経歴
高校在学中に杉立商事に入社。マキノ雅弘監督と知り合い映画の現場を知る。鶴田浩二の移籍を機に、東映のプロデューサーとなる。昭和37年「アイ・ジョージ物語 太陽の子」を初プロデュース。以後「博徒」「昭和残俠伝」「日本俠客伝」「緋牡丹博徒」「兄弟仁義」「仁義なき戦い」「日本の首領(ドン)」など人気シリーズを手掛け、任俠映画生みの親といわれ、高倉健若山富三郎、菅原文太らスターを育てた。他の作品に「残俠」がある。二女は女優の富司純子

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「俊藤 浩滋」の解説

俊藤浩滋 しゅんどう-こうじ

1916-2001 昭和-平成時代の映画プロデューサー。
大正5年11月27日生まれ。富司純子の父。昭和37年ころより東映で映画製作にとりくむ。鶴田浩二主演「博徒」,高倉健主演「日本侠客伝」,藤純子主演「緋牡丹博徒」を企画,東映やくざ映画をうみだす。のち「仁義なき戦い」「日本の首領(ドン)」シリーズなどを制作。平成13年10月12日死去。84歳。兵庫県出身。神港商高卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「俊藤 浩滋」の解説

俊藤 浩滋 (しゅんどう こうじ)

生年月日:1916年11月27日
昭和時代;平成時代の映画プロデューサー
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報