北之口町(読み)きたのくちちよう

日本歴史地名大系 「北之口町」の解説

北之口町
きたのくちちよう

[現在地名]伊丹市北本町きたほんまち一丁目

伊丹町を構成する二七ヵ町の一つ。綿屋わたや町の北側、伊丹町の北端に位置する。ほん町筋は当町の北で多田院ただいん道と池田いけだ道へと分岐している。分岐点には寛政四年(一七九二)に末吉講が建立した妙見宮常夜灯が残っている。文禄伊丹之図では人家が散在するが町名はなく、慶安―寛文期(一六四八―七三)に町名ができたと記載し、寛文九年の伊丹郷町絵図には町名がみえる。会所入用割の間数は一九〇間半(「正心調法記」武田家文書)。元禄一五年(一七〇二)大火があった(有岡庄年代秘記)。同年の石高は七石余、宝暦一二年(一七六二)は一〇石余、明和九年(一七七二)一二石余(「名寄帳」北之口町文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報