北島 艶(読み)キタジマ ツヤ

20世紀日本人名事典 「北島 艶」の解説

北島 艶
キタジマ ツヤ

大正・昭和期の伝道師 青山学院神学校教授。



生年
明治23(1890)年9月7日

没年
昭和48(1973)年11月25日

出生地
佐賀県小城郡小城町

学歴〔年〕
活水女学校神学部〔大正5年〕卒,ボストン大学大学院〔大正14年〕卒

経歴
大正5年に活水女学校神学部を卒業後にメソジスト教会伝道師となり、沖縄県那覇に赴任。12年アメリカに留学し、ボストン大学大学院を卒業。14年に帰国した後は青山学院神学校で教授を務めた。15年以降は日本メソジスト朝鮮教区巡回伝道師・京城教会婦人伝道師として朝鮮半島での布教従事。22年終戦により帰国し、引き続いて福岡や佐賀などで伝道に当たった。その傍ら、佐賀少年刑務所・同婦人刑務所の教誨師や日本基督教婦人矯風会福岡支部長・活水学院理事などを歴任し、ひろく社会や教育のために尽くした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北島 艶」の解説

北島艶 きたじま-つや

1890-1973 大正-昭和時代の伝道師。
明治23年9月7日生まれ。那覇市のメソジスト教会をへて,大正14年青山学院神学校教授となる。翌年日本メソジスト朝鮮教区巡回伝道師として転出戦後,佐賀少年刑務所の教誨(きょうかい)師,母校である長崎の活水学院理事などをつとめた。昭和48年11月25日死去。83歳。佐賀県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android