嶺崎村(読み)みねざきむら

日本歴史地名大系 「嶺崎村」の解説

嶺崎村
みねざきむら

[現在地名]見附市嶺崎町・嶺崎一―二丁目・ほん町一―四丁目・月見台つきみだい一丁目

見附町の東、刈谷田かりやだ川が平野部で大きく蛇行する地点に位置し、丘陵先端部に沿って立地。正保国絵図に高一五〇石余、村松藩領。文政一一年(一八二八)の見附町組変事家取調帳(金井謙三氏蔵)では家数七四、うち肝煎一・組頭一・本百姓五・名子百姓八・家内入四・店借五二・その他三。また当時町場化した諏訪すわ町には店借が五七軒ある。同取調帳による三条大地震の被害は焼失六・本潰三八。諏訪町では焼失二・本潰三八。天保九年(一八三八)の御巡見様御案内帳(板垣義雄氏蔵)によれば田九町九反余・畑五町五反余、家数二二、男二三七・女二六七、馬一二。


嶺崎村
みねざきむら

[現在地名]栗駒町姫松ひめまつ

二迫にのはさま川の支流金生きんせい川・荒瀬あらせ川に挟まれた丘陵上に位置する。北東は二迫の渡丸わたまる村、南西一迫の狐崎いちはさまのきつねざき(現一迫町)、南は同芋曾根いもぞね(現築館町)など。当村一迫に属し、一二迫下郷大肝入の管轄

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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