東家 楽燕(読み)アズマヤ ラクエン

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「東家 楽燕」の解説

東家 楽燕
アズマヤ ラクエン


職業
浪曲

本名
岡部 六弥

別名
前名=桃中軒 雲太夫

生年月日
明治20年 2月3日

出生地
東京都

学歴
海城中卒

経歴
初代東家楽遊長男。一時、桃中軒雲右衛門の門下となり、雲太夫を名乗ったが、東家に戻った。楽燕として父の関東節を関西節に変え、“楽燕の泣き節”といわれる独得の節で人気を得た。浪曲の近代化を図り、昭和9年に浪曲学校を設立。十八番は「義士銘名伝」だが、新物の軍事浪曲召集令」「乃木将軍伝」「木村・徳田両中尉」などに新境地を開いた。22年11月浅草松竹座で引退興行中に倒れた。

没年月日
昭和25年 3月9日 (1950年)

家族
父=東家 楽遊(初代)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「東家 楽燕」の解説

東家 楽燕
アズマヤ ラクエン

明治〜昭和期の浪曲師



生年
明治20(1887)年2月3日

没年
昭和25(1950)年3月9日

出生地
東京

本名
岡部 六弥

別名
前名=桃中軒 雲太夫

学歴〔年〕
海城中学卒

経歴
初代東家楽遊の長男。一時、桃中軒雲右衛門の門下となり、雲太夫を名乗ったが、東家に戻った。楽燕として父の関東節を関西節に変え、“楽燕の泣き節”といわれる独得の節で人気を得た。浪曲の近代化を図り、昭和9年に浪曲学校を設立。十八番は「義士銘名伝」だが、新物の軍事浪曲「召集令」「乃木将軍伝」「木村・徳田両中尉」などに新境地を開いた。22年11月浅草松竹座で引退興行中に倒れた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「東家 楽燕」の解説

東家楽燕 あずまや-らくえん

1887-1950 明治-昭和時代の浪曲師。
明治20年2月3日生まれ。父の初代東家楽遊のもと修業。一時桃中軒雲右衛門に入門し雲太夫を名のる。楽燕節を確立し,浪曲黄金時代をきずく。「召集令」や「乃木将軍伝」などの新作を得意とした。昭和21年日本浪曲協会会長。昭和25年3月8日死去。63歳。東京出身。海城中学卒。本名は岡部六弥。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「東家 楽燕」の解説

東家 楽燕 (あずまや らくえん)

生年月日:1887年2月3日
明治時代-昭和時代の浪曲師
1950年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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