横山 好子(読み)ヨコヤマ ヨシコ

20世紀日本人名事典 「横山 好子」の解説

横山 好子
ヨコヤマ ヨシコ

明治期の社会事業家



生年
明治6年(1873年)

没年
明治40(1907)年3月4日

出生地
山口県山口

学歴〔年〕
同志社女学校〔明治30年〕卒

経歴
同志社女学校に学んだのち上京し、教師として啓蒙小学校に勤務。その傍ら、築地ヤングメン伝道学校に入り、次いで慈恵病院で看護学などを修めた。34年看護婦養成を志し、東京・神田神保町に矯正看護婦会を設立。37年に日露戦争が勃発すると、私費を投じて軍人遺族保護会を組織し、戦没軍人の遺児養育に尽くした。東北飢饉では現地の児童の保護・救済に当たったが、やがて経営に行き詰まり、援助を求めて遊説中に没した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横山 好子」の解説

横山好子 よこやま-よしこ

1873-1907 明治時代の社会事業家。
明治6年生まれ。上京して東京慈恵医院看護法などをまなぶ。明治34年神田に矯正看護婦会を組織して看護婦を養成。日露戦争時には軍人遺族保護会をもうけ,私財を投じて軍人遺児を養育した。東北飢饉(ききん)でも凶作地の子供をたすけた。明治40年3月4日死去。35歳。山口県出身。同志社女学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例