瀬戸城跡(読み)せとじようあと

日本歴史地名大系 「瀬戸城跡」の解説

瀬戸城跡
せとじようあと

[現在地名]辰野町大字横川木曾郡楢川村

横川よこかわ山の瀬戸沢を登ると瀬戸沢山と岩尾沢いわおざわ山の峰の合する楡沢にれざわ(一七六〇メートル)となる。現辰野町と現木曾郡楢川ならかわ村の境で、筑摩ちくま諏訪・伊那方面の展望がよくきき、山頂を取り囲むように三条の空堀の跡が残る。また土塁や平地もみられ、ここが木曾義仲の隠れ城とか一夜城の跡とよばれている。義仲の時代に木曾と諏訪とを結ぶ間道道筋にあたっていたと考えられる。

横川の谷から諏訪にかけての義仲に関する伝説を掲げると、「瀬戸沢下流の千淵ら拾い上げられた義仲の護本尊が瑞光寺の朝日観音にまつられている」「瑞光寺には何びとの勧請か不詳であるが、義仲の位牌がある」「一ノ瀬には義仲の目付役が置かれたという目付屋敷の地名が残る」「七蔵寺しちぞうじ山から夏明なつあけへはすぐ近く、そこの毘沙門天はもと新倉にいくら(ともに現岡谷市川岸)堂平どうだいらにあり、胎内に義仲の護持仏を蔵していたという」などがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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