藤林 敬三(読み)フジバヤシ ケイゾウ

20世紀日本人名事典 「藤林 敬三」の解説

藤林 敬三
フジバヤシ ケイゾウ

昭和期の経済学者 中労委会長;慶応義塾大学教授。



生年
明治33(1900)年11月8日

没年
昭和37(1962)年9月15日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
慶応義塾大学経済学部〔大正15年〕卒

経歴
慶大助手となり、昭和4〜7年ドイツ、フランスに留学。恐慌下のヨーロッパで労働問題への関心を高め、帰国後「経済心理学」を担当して労働科学の研究に取り組む。主著「労働政策と労働科学」により、戦前までの労務管理論を越え、労働者の人間性を重視する労働科学の立ち場を打ち出した。労務管理の改善、団体交渉制の確立、社会保障の整備などによって、労働問題を資本主義社会の枠内で解決できるとする立場に立って、労働三法の原案審議に参画戦後改革期の労働立法過程で重要な役割を果たした。35年に中労委会長として、三井三池の大争議を藤林斡旋案によって調停したことで知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤林 敬三」の解説

藤林敬三 ふじばやし-けいぞう

1900-1962 昭和時代の経済学者。
明治33年11月8日生まれ。昭和9年慶大教授。経済心理学,労働科学を研究。戦後,労働三法の原案審議にくわわる。35年中央労働委員会会長となり,三井三池争議の調停にあたる。昭和37年9月15日死去。61歳。大阪出身。慶大卒。著作に「労働者政策と労働科学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「藤林 敬三」の解説

藤林 敬三 (ふじばやし けいぞう)

生年月日:1900年11月8日
昭和時代の経済学者。中労委会長;慶應義塾大学教授
1962年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報