三井三池争議
みついみいけそうぎ
1959年(昭和34)夏から翌60年秋にかけて福岡県三井三池炭鉱でおきた労働争議。三井三池労組は当時最強の労働組合といわれており,またエネルギー革命下の企業再建問題とあいまって,同争議は「総資本対総労働の対決」といわれた。59年8月,三井鉱山は人員整理を中心とする合理化案を提示,年末に職場活動家らの指名解雇を発表した。翌60年,会社はロック・アウトを実施,労組側は無期限全面ストで対抗し,第二組合も結成されるなどのなかで争議は長期化した。3月に組合員1人が刺殺されたことや,おりからの60年安保闘争の高まりのなかで,総評と炭労が争議指導の前面にたち,全国的な支援体制を作ったが,労働側が9月に解雇を容認する中労委斡旋を受諾して終結した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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三井三池争議
みついみいけそうぎ
1959年から翌年にかけて,三井三池炭鉱でおこった戦後最大の労働争議
石炭業界の不況を背景に,福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で,1959年12月解雇1200名余りの発表があり,'60年1月25日経営者側のロックアウトに対し,合理化に反対する労組は無期限ストに突入した。労使双方死力を尽くして戦い,「総資本対総労働の対決」と称された。組合の分裂により282日間も争議が続いたが,中央労働委員会(中労委)の斡旋で,11月1日ようやく終結。以後,石炭産業は斜陽化した。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の三井三池争議の言及
【三池争議】より
…三井鉱山三池鉱業所(従業員約1万5000人)の人員整理(2210人)をめぐり,1959年夏から60年秋におきた大労働争議。石炭から石油へのエネルギー転換政策を背景に,三池鉱業所がビルド鉱として存続するための〈合理化〉をめぐっておこった。しかし最大の争点は,1200人余の指名解雇者に含まれた約300人の職場活動家の解雇問題にあった。三池炭鉱労働組合(三池労組)では,この争議にいたる5年ほど前から[職場闘争]が盛り上がっていた。…
※「三井三池争議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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