道円屋敷(読み)どうえんやしき

日本歴史地名大系 「道円屋敷」の解説

道円屋敷
どうえんやしき

[現在地名]中区さかえ一丁目

碁盤割の南西の一角にある。「府城志」に「御園下新田、元御医師賀島道円薬園なり。元禄八亥年八月、町屋となる。今道円屋鋪と云」とある。道円は二代藩主徳川光友に仕えた学医。当地で薬草を栽培していたが、薬園を駿河するが(現東区)北の下屋敷内に移したため、元禄八年(一六九五)薬園跡が町屋となった(小治田之真清水)

宝永六年(一七〇九)頃の尾府名古屋図(蓬左文庫蔵)によれば、中之なかの(現中ノ町通)伏見ふしみ(現伏見通)の間に並行して御園みその(現御園通)がある。その南端天王崎てんのうざき筋との北西の一角に「新町」とみえ、当時しん町と称していたことが知れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報