除村 吉太郎(読み)ヨケムラ ヨシタロウ

20世紀日本人名事典 「除村 吉太郎」の解説

除村 吉太郎
ヨケムラ ヨシタロウ

大正・昭和期のロシア文学・ロシア語学者 日ソ学院院長;早稲田大学教授



生年
明治30(1897)年2月10日

没年
昭和50(1975)年11月3日

出生地
群馬県

学歴〔年〕
東京外国語学校(現・東京外国語大学)露語科〔大正7年〕卒

主な受賞名〔年〕
ゴーリキー記念文学賞〔昭和47年〕

経歴
大正12年東京外語と早大の講師となり、露文学者として活躍。昭和5年早大教授。10年から12年にかけて文部省在外研究員としてモスクワに滞在する。15年当局の圧力で東京外語を辞し、執筆生活に入る。戦後は早大講師に復帰して、37年客員教授に就任し、42年の退職後は日ソ学院長を務めた。著書に「芸術リアリズム」「ソビエト文学史」「文学とインテリゲンチャ」などがあり、訳書も数多くある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「除村 吉太郎」の解説

除村吉太郎 よけむら-よしたろう

1897-1975 大正-昭和時代のロシア文学者。
明治30年2月10日生まれ。日露協会学校(ハルビン学院)助教授などをへて,昭和5年母校東京外国語学校(現東京外大)の教授となる。ソ連留学後の15年,思想問題で追われ文筆活動に専念。戦後は日ソ親善協会常任理事,日ソ学院長,早大客員教授。昭和50年11月3日死去。78歳。群馬県出身。著作に「芸術とリアリズム」「ソビエト文学史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「除村 吉太郎」の解説

除村 吉太郎 (よけむら よしたろう)

生年月日:1897年2月10日
大正時代;昭和時代のロシア文学者。日ソ学院院長
1975年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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