際波村(読み)きわなみむら

日本歴史地名大系 「際波村」の解説

際波村
きわなみむら

[現在地名]宇部市大字際波・山の手町やまのてちよう

厚狭あさ郡南部に広がる丘陵に立地し、江戸時代前期まで村の南側は厚東ことう川河口西の周防灘に面していた。南東おきだん奥壇おきのだん、北と西は有帆ありほ(現小野田市)、東は広瀬ひろせ南西東須恵ひがしすえ(一部は現小野田市)の各村に接する。萩藩領で舟木宰判に属する。

広瀬村に接する村内の小字くしからさと迫条さこじようにかけての台地の下は、潮入しおいりという地名が残ることからもわかるように瀬戸内海が湾入していた。この地は厚東川の土砂堆積を利用して、江戸時代中期までに少しずつ干拓されていったと考えられるが、開発の年代は明らかでない。

貞治三年(一三六四)浄名寺知行分目録(「寺社証文」所収浄名寺文書)

<資料は省略されています>

とある。崇西とは厚東武実である。また浄名寺文書には、大内弘世の菩提寺正寿しようじゆ(跡地現山口市)浄名じようみよう寺とが「際波村内年田山野境目」のことについて相論し、浄名寺が「串村山野」を知行していることを確認したうえ、相論地について「年田山野之外入交可令受用」という裁定をした天文一八年(一五四九)一二月二六日付の大内氏奉行人連署状がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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