朝日日本歴史人物事典 「一柳直盛」の解説
一柳直盛
生年:永禄7(1564)
安土桃山・江戸前期の武将。直高の次男,直末の弟。美濃国(岐阜県)厚見郡の生まれ。はじめ三政。四郎右衛門と称する。従五位下,監物。天正10(1582)年備中宿毛塚城攻めで武名をあげ,同18年小田原城攻撃の際兄が戦死したため,豊臣秀吉から尾張黒田城主とされ3万石を知行する。文禄1(1592)年に4566石余を加増される。慶長5(1600)年の関ケ原の戦では東軍として岐阜城攻めに参加,その功により同6年1万5000石を加増され伊勢国神戸に移封,5万石を領する。寛永13(1636)年1万8000石余を加増され,伊予国西条に転封されたが,新封地へ赴く途中大坂で没した。
(大石学)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報