スアレス(読み)すあれす(英語表記)Adolfo Suárez González

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スアレス」の意味・わかりやすい解説

スアレス(Francisco de Suárez)
すあれす
Francisco de Suárez
(1548―1617)

スペインの哲学者、神学者。新スコラ学派の祖。グラナダの生まれ。イエズス会に入り、サラマンカ大学に学び、各地の神学校、大学の教授を歴任した。彼の業績の中心は形而上(けいじじょう)学および法哲学にあり、『形而上学論究』Disputationes metaphysicaeをはじめとして多くの著作がある。その形而上学は、アリストテレスからトマス主義の流れに位置するが、独自のものであり、その学殖に基づきそれまでのスコラ哲学における形而上学の諸問題を網羅した体系をなしており、以後長期にわたってカトリック系大学のみならず、多くのプロテスタント系大学の思想にまで大きな影響を及ぼした。法哲学に関して、彼は義務を核心に据えた理論を展開し、自然法の中世的理解から近代的理解への移行をもたらし、グロティウスへの影響も大きい。

[清水哲郎 2015年1月20日]


スアレス(Adolfo Suárez González)
すあれす
Adolfo Suárez González
(1932―2014)

スペインの政治家。サラマンカ大学で法学を学んだのちフランコ派の「国民運動」に身を投じ、国営放送総裁(1969)、国民運動書記長(1975)を歴任し、フランコ死後の1976年7月、フアン・カルロス王により王政下2人目の首相に任命された。当初は保守派とみなされ旧フランコ派に期待された彼は、旧体制の解体と西欧風の立憲君主制確立に多大の貢献をした。1981年1月、与党民主中道連合から批判を受け首相を辞任した。1982~1991年、民主社会中道党CDS党首

[平瀬徹也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スアレス」の意味・わかりやすい解説

スアレス
Suárez, Francisco de

[生]1548.1.5. グラナダ
[没]1617.9.25. リスボン
スペインの哲学者,神学者。イエズス会 (1564入会) 最大の学者で「優秀博士」 Doctor eximiusと呼ばれる。近世のスコラ学を興した。 1564~70年サラマンカで神学を学び,71~74年セゴビアの学院で哲学を,74~97年バリャドリド,ローマ,アルカラ,サラマンカなどの学院で神学を講じた。この間 80年ローマの学院で始められたトマス・アクィナスの『神学大全』の解釈は浩瀚な注解書として結実し,94~97年にはサラマンカで主著『形而上学討論』 Disputationes metaphysicaeを完成した。 97~1616年コインブラ大学教授。恩恵論争では L.モリナを修正して合宣説 congruismを立てて人間の自由意志を擁護し,『法律論』 De legibus et Deo legislatore (1612) では,トマスの自然法説を時代に合致させるとともに,国際法の思想を示して H.グロチウスに先駆した。主著"Defensio fidei catholicae adversus Anglicanae sectae errores" (13) ,"De virtute et statu religionis" (08~09) 。

スアレス
Suárez González, Adolfo

[生]1932.9.25. セブレロス
[没]2014.3.23. マドリード
スペインの政治家。首相(在任 1976~81)。サラマンカ大学で法律を学び,卒業後フランコ政権支持の政治結社,国民運動 MNに参加。のち国営放送に勤務。1968~69年 MNのセゴビア支部長に就任。1969年国営放送会長。1975年 MN事務局長。1976年7月国王フアン・カルロス1世により首相に任命され,キリスト教民主同盟穏健派と革新派を中心にテクノクラートの内閣を組織,政治活動の自由化を認める政治改革法を制定,スペインの民主化に貢献。1977年民主中道連合 UCDを結成,党首に就任。1977年6月,40年ぶりの総選挙で UCDは第一党となり,首相に再任された。1981年1月辞任。1982年には UCDを発展的に解消して民主社会中道党 CDSを創設したが,1991年5月に党首を辞任した。

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