スペインの哲学者,神学者。グラナダ生れ。サラマンカ大学で教会法を学んでいる間にイエズス会に入り,引き続き哲学,神学を学ぶ。1571年以降スペインの諸大学,およびローマで哲学,神学を教えたが,97年フェリペ2世の招きでポルトガルのコインブラ大学神学教授に就任,リスボンで没した。その卓越した学識のゆえに,歴代の教皇から〈卓越博士Doctor eximius〉の称号を贈られた。
彼はきわめて多産な著作家であり,パリ版《全集》(1856-78)は28巻を数える。その大部分は恩恵論,キリスト論,トマス《神学大全》の詳細な注解などの神学的著作である。また当時激しく論争されていた恩恵と自由意志の問題に関する論文,教皇パウルス5世の要請でイギリスのジェームズ1世に対する反論として書かれた,教会と国家の問題に関する〈信仰の擁護〉,および法哲学,国際法に関する著作も含まれている。しかし後世に最大の影響を与えたのは哲学的著作《形而上学の諸問題》(1597)である。スアレスはトマスの立場を重んじ,スコラ学の伝統を豊かに継承したが,類比,存在と本質の問題などに関して独自の見解をうちだした。この著作は17世紀以降ヨーロッパの諸大学で哲学教科書として広く用いられ,デカルト,ライプニッツ,スピノザ,C.ウォルフはその影響下にある。国際法の分野でも,ビトリアと並んでその創始者の一人である。
執筆者:稲垣 良典
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スペインの哲学者、神学者。新スコラ学派の祖。グラナダの生まれ。イエズス会に入り、サラマンカ大学に学び、各地の神学校、大学の教授を歴任した。彼の業績の中心は形而上(けいじじょう)学および法哲学にあり、『形而上学論究』Disputationes metaphysicaeをはじめとして多くの著作がある。その形而上学は、アリストテレスからトマス主義の流れに位置するが、独自のものであり、その学殖に基づきそれまでのスコラ哲学における形而上学の諸問題を網羅した体系をなしており、以後長期にわたってカトリック系大学のみならず、多くのプロテスタント系大学の思想にまで大きな影響を及ぼした。法哲学に関して、彼は義務を核心に据えた理論を展開し、自然法の中世的理解から近代的理解への移行をもたらし、グロティウスへの影響も大きい。
[清水哲郎 2015年1月20日]
スペインの政治家。サラマンカ大学で法学を学んだのちフランコ派の「国民運動」に身を投じ、国営放送総裁(1969)、国民運動書記長(1975)を歴任し、フランコ死後の1976年7月、フアン・カルロス王により王政下2人目の首相に任命された。当初は保守派とみなされ旧フランコ派に期待された彼は、旧体制の解体と西欧風の立憲君主制の確立に多大の貢献をした。1981年1月、与党の民主中道連合から批判を受け首相を辞任した。1982~1991年、民主社会中道党(CDS)党首。
[平瀬徹也]
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…しかしアリストテレスの《形而上学》と中世の形而上学とが〈存在論〉という言葉の発生の源泉であることは明白である。これをスアレスの《形而上学論議》(1597)に即して追ってみよう。彼は〈実在的な存在者ens realeである限りでの存在者〉を〈知性的存在者ens rationis〉,すなわち知性・悟性の産物として心の中に想像された存在者から鋭く区別し,前者を次の2部門で扱う。…
※「スアレス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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