梶山静六(読み)カジヤマ セイロク

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「梶山静六」の解説

梶山 静六
カジヤマ セイロク


肩書
元・衆院議員(自民党),元・内閣官房長官

生年月日
大正15年3月27日

出生地
茨城県常陸太田市

学歴
日本大学工学部土木科〔昭和24年〕卒

経歴
常陸大理石専務から昭和30年茨城県議に当選。42年県会議長を経て、44年茨城2区から衆院議員に当選。通産政務次官、衆院商工委員長などを歴任し、62年竹下内閣自治相、平成元年宇野内閣の通産相、2年海部内閣の法相、4年党幹事長、8年橋本内閣官房長官となり、第2次橋本内閣でも留任。10年7月自民党総裁選に出馬するが、小渕恵三に敗れる。当選9回。竹下派小渕派を経て、無派閥。竹下内閣時代は“竹下派七奉行”の一人として“武闘派”“大乱世の梶山”の異名を取った。著書に「破壊と創造」がある。12年1月追突事故にあい入院、同年4月政界引退を表明、同年6月衆院解散直後に死去

受賞
勲一等旭日大綬章〔平成11年〕

趣味
ゴルフ 将棋

没年月日
平成12年6月6日

家族
長男=梶山 弘志(衆院議員)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「梶山静六」の解説

梶山 静六
カジヤマ セイロク

昭和・平成期の政治家 元・衆院議員(自民党);元・内閣官房長官。



生年
大正15(1926)年3月27日

没年
平成12(2000)年6月6日

出生地
茨城県常陸太田市

学歴〔年〕
日本大学工学部土木科〔昭和24年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日大綬章〔平成11年〕

経歴
常陸大理石専務から昭和30年茨城県議に当選。42年県会議長を経て、44年茨城2区から衆院議員に当選。通産政務次官、衆院商工委員長などを歴任し、62年竹下内閣の自治相、平成元年宇野内閣の通産相、2年海部内閣の法相、4年党幹事長、8年橋本内閣の官房長官となり、第2次橋本内閣でも留任。10年7月自民党総裁選に出馬するが、小渕恵三に敗れる。当選9回。竹下派、小渕派を経て、無派閥。竹下内閣時代は“竹下派七奉行”の一人として“武闘派”“大乱世の梶山”の異名を取った。著書に「破壊と創造」がある。12年1月追突事故にあい入院、同年4月政界引退を表明、同年6月衆院解散直後に死去。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梶山静六」の解説

梶山静六 かじやま-せいろく

1926-2000 昭和後期-平成時代の政治家。
大正15年3月27日生まれ。茨城県議をへて昭和44年衆議院議員(当選9回,自民党)。60年竹下派の結成にくわわる。竹下内閣の自治相をはじめ,通産相,法相を歴任し,平成4年党幹事長。のち第1・第2次橋本内閣の官房長官。平成12年6月6日死去。74歳。茨城県出身。日大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「梶山静六」の解説

梶山 静六 (かじやま せいろく)

生年月日:1926年3月27日
昭和時代;平成時代の政治家。衆院議員;内閣官房長官
2000年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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