政治家。群馬県生まれ。1962年(昭和37)早稲田大学卒業。大学では雄弁会に所属した。自民党代議士であった父光平の跡を継いで1963年の総選挙で衆議院旧群馬3区から初当選、26歳での当選は当時の最年少記録。以後連続12回当選。1979年第二次大平正芳(おおひらまさよし)内閣の総理府総務長官として初入閣を果たしたあと、竹下登(のぼる)の側近中の側近として竹下派結成にかかわった。1987年竹下内閣の官房長官となり、「平成」の元号発表で注目を集めた。1991年(平成3)4月自民党幹事長に就任。1992年10月の竹下派分裂では反小沢派に担がれて派閥会長となり、1994年7月には自民党副総裁に就任した。1997年第二次橋本龍太郎内閣の外相となり、対人地雷全面禁止条約実現に尽力した。1998年7月参議院選挙敗北による橋本退陣を受けて自民党総裁に就任、同時に第84代内閣総理大臣に指名された。当初、小渕内閣は自民党単独内閣であったが、1999年1月に内閣を改造し自由党との連立政権を発足させた。さらに1999年10月には、公明党を加えた三党連立による第二次改造内閣を発足させ長期政権を目ざしたが、2000年4月に自由党が連立を離脱、小渕はその直後に脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、内閣は総辞職した。平成12年5月14日死去。
[伊藤 悟]
『佐野眞一著『凡宰伝』(文春文庫)』
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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昭和・平成期の政治家 衆院議員(自民党);元・首相;元・自民党総裁。
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